少し前の話。
体調不良で欠勤した夫の付き添いで朝イチ病院に行った帰り、
「お疲れ様です、ダニエルです。
〇〇先生は…?ああ、そうですか。じゃあ▲▲先生は…?
す… すごい。完璧に通じてる!
上司が不在だったので代わりの人に用件を伝え、
細かな言葉遣いはさておき、
今回、職場への欠勤の連絡を、初めて自分でしてもらった。
思えば今までも職場への連絡は夫に頼まれていたわけではなかったけど、言葉の問題から生じるリスクや先方への迷惑を考えて、
この二週間ほど前、数年ぶりに大学時代の友人と再会した。
外国人の夫とはじめて日本で一緒に暮らしてみて、
という主旨の私の発言に対して彼女はこう言った。
「私だったらそこまでしないかな〜!
「
昔からさっぱりとした性格の彼女。
彼女のパートナーは日本人だけど、
ーこんなに一生懸命、面倒みなくてもいいんだ。
「配偶者=身元保証人」だから、
そう思って、今まで書類上の手続きは1から10まですべて私がや
でもそれはすべて私が勝手にやっていたことで、
私がフィリピンから日本に帰国した頃、既に世界はコロナ禍。
それが、
そんなショッキングな気づきがあってからの冒頭の出来事。
ほぼまったく英語の通じない職場環境で、
私が「家事に育児に夫のサポートに忙しくて、
そんなことに全く気付かず、
この出来事を機に、もう一つ考えるようになったことがある。
それは、私があれこれ干渉しすぎることで夫の「可能性」
夫は自由で、好奇心・
その彼の内に秘められた少年の心は、
だから、もう毎日のように、あれがやりたい!これがやりたい!
日本に来てすべてが一変した夫。
一方で、
だからなのか、どうしても保守的になってしまう。
夫の口から「やりたい!」が出るたびに、
・それは〇〇だから日本では難しいよ。
・やってもいいけど、××と▲▲には気をつけて。
・面白そうだけど、
こんな言葉が口を突いて出てくる。
彼の純粋な「やりたい!」を、
夫には、
娘に対する親としての責任を果たすのと並行して、
ただ、こうやって夫の言動について、
私は、これって子育てにすごく通じるものがあると思っていて、
なんでもかんでも親が干渉すれば、
今、夫への自分の接し方を客観的にみてみると、近い将来、
「失敗してもいいから思い切りやってごらん」
娘に対してそうやって大きく構えてあげられるだろうか、
我が子には、社会のレールからはみ出さないことに一生懸命になるような人生を送ってほしくない。夫のように、自由でのびのびと、自分を大切にして生きてほしい。
そういった思いがありながら、背中を見せるという意味での言動がついてゆかない。
だけど、夫の場合はやろうとしていることの規模が大きいし、
最近、誰かの投稿でみた、
「考えすぎる人は、成功条件が全て揃うまで行動しない。
という言葉。
私は典型的な前者で、夫は後者だ。
独身の時は(
夫が日本に来て1年4ヶ月。
かなり日本の文化に慣れてきたとはいえ、まだまだ理解が足らない部分もある。
好きにやってもらえばいいのか。
失敗して他人に迷惑をかけたとしても、
今、この文章を打ちながら、来週頭に(夫が)