フィリピンに恋して。
~フィリピン・バギオのリアルライフ~
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フィリピン人夫の来日から1年4ヶ月。日本人妻の反省~子育てに通じること~

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少し前の話。

体調不良で欠勤した夫の付き添いで朝イチ病院に行った帰り、夫が上司へ報告の電話をするのを隣で聞いていた。

 

「お疲れ様です、ダニエルです。
〇〇先生は…?ああ、そうですか。じゃあ▲▲先生は…?ああ、そうなんですか。ああ、はい、じゃあお願いします。あのー、病院に行きました。それで、薬をもらいました。あのー、熱はナナジュウヨン…ん?チガウ… えーと… サンジュウ…ああそれです!はははw すいません。はい、陰性です。日曜日です。はい、わかりました。ありがとうございます。お願いします。失礼しまーす。」

 

す… すごい。完璧に通じてる!

上司が不在だったので代わりの人に用件を伝え、後から折り返し連絡をもらうことになったらしい。

細かな言葉遣いはさておき、伝えるべき項目はすべて押さえているし、最後の「失礼しまーす」なんて完璧だ。(夫はここのところ、”咄嗟の一言”がネイティブにしか聞こえないと褒められる)

 

今回、職場への欠勤の連絡を、初めて自分でしてもらった。

思えば今までも職場への連絡は夫に頼まれていたわけではなかったけど、言葉の問題から生じるリスクや先方への迷惑を考えて、当然のように私がやっていた。

 

この二週間ほど前、数年ぶりに大学時代の友人と再会した。お互い結婚して同じくらいの子どもがいる。

外国人の夫とはじめて日本で一緒に暮らしてみて、目に見えることから無意識的なことまでとにかく常識がとことん違うから、夫が外で「人に迷惑をかけないよう」「間違いを犯さないよう」妻として気を張ってばかりで疲れちゃう、

という主旨の私の発言に対して彼女はこう言った。

「私だったらそこまでしないかな〜!失敗しながら自由にやってもらう。ダニエルさんだって、人の道を外れるようなことはしないでしょ?例えばいきなり人を刺したりとか(笑)」

それで何かあっても大人なんだから自分でどうにかしてくださいって感じ」

昔からさっぱりとした性格の彼女。

彼女のパートナーは日本人だけど、過去にグローバルな交際歴があり文化の違いについては痛いほどわかってくれている彼女の言葉だったからこそ、これがストンと胸に落ちたというか、自分の中で今まで何かに縛られていたものから解放されたような感覚があった。

 

ーこんなに一生懸命、面倒みなくてもいいんだ。

 

「配偶者=身元保証人」だから、この国で夫に何かあれば全て私の責任。

そう思って、今まで書類上の手続きは1から10まですべて私がやっていたし(夫は内容すら知らない、というか英訳して共有する暇がなかった)、仕事や試験、人との待ち合わせには絶対に遅れないよう電車やバスの時刻を調べていたし、とにかく何をするにも失敗しないよう、目の前の小石を一つずつ拾うように、できるだけ事前に不安要素を取り除いていた。

でもそれはすべて私が勝手にやっていたことで、実はそこまでしなくてもよかったのかもしれない、と、この時ようやく気がついた。

私がフィリピンから日本に帰国した頃、既に世界はコロナ禍。その間に結婚も出産もした。本来なら沢山の友達と子育てや国際結婚の尽きない悩みをシェアして、第三者からみた意見やアドバイスを参考にしつつ自分自身の価値観もブラッシュアップできたであろう2年間。

それが、目に見えないウイルスによって人との接触を大幅に制限され、いかに自分だけの考えで凝り固まっていたかが分かり、それがいかに恐ろしいことかと怖くもなった。

 

 

そんなショッキングな気づきがあってからの冒頭の出来事。

ほぼまったく英語の通じない職場環境で、人に恵まれすぎているとはいえ、よく頑張ってここまできたね!と、駅のど真ん中で思いっきり抱きしめたい気持ちをぐっと堪える。

私が「家事に育児に夫のサポートに忙しくて、自分のことにまったく手が回らない」とイライラしている間に、夫はトライアンドエラーを繰り返してメキメキと日本語力 ーだけでなく「この国で生きる力」を身につけていたのだ。

そんなことに全く気付かず、夫はこの国では私がいないと何もできないと思い込んでいた自分を、とても恥ずかしく思った。

 

この出来事を機に、もう一つ考えるようになったことがある。

それは、私があれこれ干渉しすぎることで夫の「可能性」を潰してしまっているのではないか、ということ。

夫は自由で、好奇心・チャレンジ精神に溢れたエネルギッシュな人だ。

その彼の内に秘められた少年の心は、フィリピンでは家庭環境や彼を取り巻く環境にずっとずっと蓋をされてきた。それが日本にきて、金銭的にも少し余裕が出てきた今、爆発している。

だから、もう毎日のように、あれがやりたい!これがやりたい!と、次から次へ新しいアイデアがポンポンでてくる。

 

日本に来てすべてが一変した夫。
一方で、私はといえば家族が増えたこと以外は今までと何も変わらない。

だからなのか、どうしても保守的になってしまう。

夫の口から「やりたい!」が出るたびに、その先にあるリスクを思い浮かべては、

・それは〇〇だから日本では難しいよ。
・やってもいいけど、××と▲▲には気をつけて。
・面白そうだけど、それをやるには私は今余裕がなさすぎて手伝えない。

こんな言葉が口を突いて出てくる。

彼の純粋な「やりたい!」を、いろいろな理由をつけて押さえつけているような気になる。

夫には、今が一番若いから勢いで何でもチャレンジしてほしいと思いつつ、いざ始めようとすると、必ず私の手が要る。私自身が潰れないようにしながら、家庭、育児、仕事のすべてを平穏に保とうとすると、以前のように「いいじゃん。好きなようにやってみな」とは言えないのだ。

娘に対する親としての責任を果たすのと並行して、夫の可能性を潰しているのではないかと自問自答する日々。

ただ、こうやって夫の言動について、なんでもかんでも私が口出ししていて良いのだろうか?

 

私は、これって子育てにすごく通じるものがあると思っていて、

なんでもかんでも親が干渉すれば、子どもにとってはそれが当たり前になり、必要以上に親の目を気にしたり、親のゴーサインがでないと行動できない、自分で判断できない子になってしまう。

今、夫への自分の接し方を客観的にみてみると、近い将来、

「失敗してもいいから思い切りやってごらん」

娘に対してそうやって大きく構えてあげられるだろうか、と疑問に思うのだ。

我が子には、社会のレールからはみ出さないことに一生懸命になるような人生を送ってほしくない。夫のように、自由でのびのびと、自分を大切にして生きてほしい。

そういった思いがありながら、背中を見せるという意味での言動がついてゆかない。

だけど、夫の場合はやろうとしていることの規模が大きいし、それは私たち家族に関わってくることだから、やっぱり妻である私がある程度干渉していかないといけないのかなあ、と思ったり。

 

最近、誰かの投稿でみた、

「考えすぎる人は、成功条件が全て揃うまで行動しない。そうでない人は、とりあえず行動してみる」

という言葉。

私は典型的な前者で、夫は後者だ。

独身の時は(それこそ急に仕事をやめて導かれるようにフィリピンへ行ったときあたりまでは)そうでもなかった気がするけど、結婚して子どもができて、家族揃って日本で生活するようになり、自分の手で守らなければいけないものが出来てからは、色んなことに対して慎重になってしまった。

 

夫が日本に来て1年4ヶ月。

かなり日本の文化に慣れてきたとはいえ、まだまだ理解が足らない部分もある。

好きにやってもらえばいいのか。

失敗して他人に迷惑をかけたとしても、そこから本人が学べばいいのか。

今、この文章を打ちながら、来週頭に(夫が)会社に提出する資料のことや医療費に関する書類申請のことが頭をよぎっているあたりからして、私がフィリピン人夫の事務方を離れる日はほど遠い。