フィリピンに行って、夫を思い出して帰ってきた。〜日本人妻目線で考える国際結婚のこと〜
最終日、90分のスパで旅の疲れを癒やしてもらいながら、頭の中では忙しくいろいろなことを考えていた。
自分なりにたくさんの気付きを得た今回の滞在。
日本に帰ってきたら、小旅行を振り返る間もなく忙殺される日々に戻り、下書きとして埋もれていたこの記事を更新できずにいた。自分が置かれた状況や考えは、この半年の間にもすっかり変化してしまったけれど、確かに自分の中にあった感情を完全に忘れてしまう前に、書き留めておこうと思う。
(2025年8月の記録)
娘のこと
「フィリピンではいろいろなことにチャレンジしたい」
「えいごでおはなししたい」
行きの飛行機で、娘がこっそり伝えてくれた言葉。この時期特有の、周りのみんなに聞こえる大きなヒソヒソ声で。
ついこの間までひとりではなにもできなかった子が、旅の目標なんてことを考えるようになったのか…
思わず胸が熱くなる母である。
3歳になりたてで初めてフィリピンに行ったときは、ゆで卵とビナクレ(ちまきのようなおやつ)、市販のチョコレートシリアルしか食べなかった。白いご飯でさえ、アンパンマンふりかけがないと口にできない。帰国後もしばらく、「フィリピンのごはんは、あんまりなの。」と話していたほどだ。
それが今回は、初日から宣言どおり何でも口にする。レストランで出てきた見たことのない食べ物も、とりあえず食べてみる。ソルテッドエッグ(アヒルの卵の塩漬け)は飲み込めずに吐き出していたけれど。
日本から持ってきたふりかけは出番なし。
幸い、カレンデリアのご飯でお腹を壊すこともなかった。
トイトレが完了していたのもよかった。
神経質な娘のことを思って念のため持参したオムツも、出番なし。
「きれいなトイレじゃないとでない!」と泣かれることも想定していたが、拍子抜けするほど問題なかった。むしろ、「フィリピンのトイレと日本のトイレの違い」に興味津々、母は毎日質問攻めにあった。
バギオでは街中のトイレ事情が改善していて、レバーひとつで流せるところがほとんどだったので、手桶式のトイレが体験できなかったことを残念に思うほどだ。
そして、言葉。
1週間、英語とタガログ語に囲まれての生活。
我が家では二言語育児が思うようにいっていないのだが、滞在中はスポンジのように単語を吸収していき、大人の声かけもほとんど理解していたように思う。
環境が言語習得に大きな影響を与えることは頭で分かっていたけれど、この短期間で二語文〈”It’s scary!” “It’s yummy!” など〉が出てくるとは、行ってみなければわからなかった(そして帰国後一週間もするとさっぱり忘れ去ったようだ)。
私がイロカノ語とタガログ語の違いが分からないように、娘も英語とタガログ語の区別がついていない様子ではあった。
大人たちの会話を聞いて、横で「マカノ?マカノ?」と、小さな声で呪文のように繰り返していた。
私にとって「異文化」であるフィリピンは、娘にとって「もうひとつの母国の文化」。
日本で育ちながらも、フィリピンの文化を自然に吸収し、自分なりに根づかせていってほしい。
フィリピンの文化はこういうものだと、日本人の私が先入観を植え付けるのではなく、彼女自身の目で見て、肌で感じ、経験値として積み重ねていければいいと思う。
夫のこと、私自身のこと
夫婦としての初心に立ち返る
今回のフィリピン行きは、私たち夫婦にとっても大切なタイミングだった。
夫が日本に来て3年半。
生活は落ち着いてきたものの、何もかもが不安定だった1〜2年目とはまた違う大変さがあった。
夫は日本で人脈を広げ、夢を語る。
新しい挑戦に意欲を燃やし、毎日のようにアイデアが浮かんでは、真っ先に私に話してくれた。
一方で、そのほとんどに私のサポートが必要だ。日本での正しいやり方を調べて伝える必要があるし、実際の書類や手続きとなればすべて日本語だ。
もともとクソマジメで変に責任感の強い私は、書類上、夫の「身元保証人」になったことですべてを背負い込んだような気になった。心配性は加速し、過度な臆病さへと変わっていった。結婚前では考えられないほど、色々なことを怖れるようになった。それが育児・家事と重なり、疲弊していった。
「自分ひとりで娘と夫を支えている」という傲慢な気持ちすら芽生え、苛立ちとともに夫へのリスペクトも揺らぎかけていた。
そんな時に訪れたフィリピン。
故郷での夫は、長男として家族に頼られ、周囲から慕われ、現地のことを熟知していた。その姿は、とても生き生きとしていた。私はただ黙ってついていくだけで安心できた。
(なんだ、何も変わっていないじゃないか。)
何も変わっていなかった夫の姿こそ、私が彼と今後の人生を一緒に歩みたいと思った理由そのものだ。
初心に返り、再びリスペクトの気持ちを取り戻すことができた。
同時に、日本で夫が夫らしく生きるうえで、言葉や文化ではなく「私」が壁になっているのではないか、とも考えた。
そして、帰国したら私自身が変わろうと決意した。
今まで、時間がないだのわからないだの何かと理由をつけて「できない」「難しい」とつっぱねていた、夫のやりたいこと。
できない理由を探すのではなく、できる方法を考えること。
未知の世界への恐れを捨てること。
経験や知識がないなら、一つひとつ学ぶことから始めればいい。
国際結婚はチーム戦なのだ。
―あれから半年が経った今、相変わらず「ちょっとまって」「一度に二つのことはできないよ」「first things first 」などとぶつくさ言いながらも、知らないことはとりあえず調べてみて、亀よりも遅いペースではあるものの、一歩ずつ進んではいる。
「頑張らない」を頑張ることでみえてきたもの
「何も頑張らない」と決めてきた今回の滞在。
ほんとうに、何も頑張らなかった。
なんとこの1週間、皿の1枚も洗っていない。
(お義母さん、ごめんなさい。ありがとう!)
私がやらないということは、他の誰かがやってくれているということだ。
申し訳なさはあったが、それを徹底したことで、日本に帰っても「まあ、そんなに頑張らなくてもいいか」と思うことができるようになった。
「夜9時に娘を寝かせる」
そのゴールめがけて、毎朝起きた瞬間から1日のスケジュールを刻んでいた。思うように進まないとイライラした。
そのうち、「私は、定時に娘を寝かしつけるために生きているのだろうか?」と疑問が湧くようになった。
何のために、愛する娘や夫に怖い顔を向けながら必死に生活を回しているんだろう。
目的が分からなくなった。
帰国したら少しだけラクに生きてみようときめた。
―今日くらい洗濯しなくても。
―子どもの寝る時間が遅れても。
―少しテレビを見せすぎても。
―部屋が片付いてなくても。
そうしたら、一気に家にいる時間がラクに・そして楽しくなった。
1日が24時間というのも、娘の寝る時間も変わっていないのに、「ない」と思っていた時間が徐々に見えるようになり、自分の時間や夫婦の時間までとれるようになってきた。
以前では考えられないことだ。
「頑張らない」を頑張ったことで、心に余裕ができたことは、大きな発見だった。
視点を変える
夫がどんどん新しいコミュニティに参加し、人脈を広げていく中で、なんとなく抱いていた感覚があった。自分ひとり、日々の忙しさの中に取り残されていくような感覚だ。
これについても改めて考えてみた。
夫が湧き出る好奇心に逆らわずどんどん外へ出て行ってくれるおかげで、私までオマケのようについていっては新しい人たちに出会える。(夫はどこへ行くときも私を誘ってくれる―フィリピン人仲間とバスケに行くとき、床屋へ行くとき、歯医者に行くとき、そして飲み会のときも!)
今まで知らなかったことを知ることができるし、新しい景色を見ることもできる。
そして何より、人生に飽きることがない。
最高じゃないか。
私一人では絶対にあり得なかったことだ。
それに気づいてから、夫を快く送り出せるようになった。
「帰る場所」「逃げる場所」
国際結婚は、片方が母国に、もう片方が外国に(あるいはお互いにとっての第三国に)住むことになる。
外国人として生活する立場、
外国人配偶者を支える立場。
夫婦それぞれの立場が違う中で、お互いの状況を常に理解し、感謝とリスペクトの気持ちを維持し続けることは、想像以上に難しい。
―実際、この文章をかきしたためていた頃から半年が経った今、また夫への不満を募らせている自分にハッと気がつく。感情はいとも簡単に変化する。だからこそ記録には意味があると思っている―
そんなとき、それぞれの「帰る場所」「逃げる場所」があることは、国際結婚のメリットだと思う。
今回、フィリピンは
夫にとっての「帰る場所」、
私にとっての「(日々の責任から一旦)逃げる場所」になった。
それに気づけたことは大きい。
夫は、家族や友達との時間を持ち、母国語で話し、本来の自分を取り戻した。
私は、日本での立場や日本の文化から離れ、いったん肩の荷を下ろすことで、心の余白を取り戻した。
またどうせ、いやになる。
いざとなればまたここに来ればいい。
そう思える場所があるだけで、気持ちは楽になる。
また日々を頑張ろう。
いや、頑張らずに楽しく生きてみよう。

