フィリピンに恋して。
~フィリピン・バギオのリアルライフ~
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私がフィリピンに恋した理由。

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先月のバギオ滞在中、ルソン島西部に位置するサンバレスを一泊二日で訪れた。

この旅行が、自分の中では衝撃的で忘れられないものとなった。

今までぼんやりとしか説明できなかったフィリピンを好きな理由が、初めて自分の中ではっきりと言語化されたからだ。

キッカケはサバイバル旅行

「週末、サンバレスに行こう。めちゃくちゃ綺麗なビーチリゾートだよ!」

9月のバギオは絶賛雨季。

せっかく彼に会いにはるばるマニラから5時間(のところ大雨で9時間かかった)かけてバギオまできたというのに、来る日も来る日も雨だった。

そもそも、バギオは標高1500メートルの山岳地帯の中にある。

最寄りのビーチリゾートは、車で2時間のラ・ウニオン州。

フィリピンと聞いてイメージするような青々とした海とは程遠い。ちっとも澄んでないし、カラフルな魚もサンゴ礁もいない。

だから、ビーチリゾートと聞いたときは、ついに私もインスタで #フィリピン #リゾート #エメラルドグリーン #楽園なう のハッシュタグをつけたリア充な写真を投稿できるのか?!と、期待した。

※写真はイメージです。(撮影:2016年 インドネシア ムンジャンガン島)

 

 

期待は期待に終わり、当日お天気は大荒れ。

フィリピンって地球上に発生するほぼすべての台風が通過してるんじゃないか?ってくらい台風が頻繁に直撃するというのに、この国の人ときたら、台風をまったく気にしないどころか天気予報すら見ないんだから、もはや尊敬する。

せっせとレンタカーを手配する彼の横から ねえ、明日台風だよ。というと

天気予報は当たらないから見ない主義なんだ、と聞く耳持たず。

そして前日に召集かけて3人も集まるフットワークの軽さよ。

 

 

私たちを待っていたのは、ビーチリゾートというワードから想像する優雅な旅行とはかけ離れた、サバイバル旅行だった。

途中で道に迷って、道路とは呼べないガタガタ道をグーグルマップを頼りにひたすら走り、予定より3時間遅れでやっと到着したと思えば、私たちが泊まる離島まで、嵐の中さらにボートで1時間。

着いた頃には真っ暗で、自分たちが寝泊まりする島がどんな様子かもわからなかった。

冷たい雨に打たれながら、事前に市場で買ってきた食材でシニガンを作る。

電波もない、電気もない、ずぶ濡れなのに着替えもない。

持ってきたタオル類は行きのボートで全部海水に持っていかれた。

極寒の中、寝る場所がない。トイレに行けない。

 

 

なんにもないけどめちゃくちゃ楽しくて、

なんにもないけど笑いが耐えなくて、

確かに唯一あったのは、仲間との幸せな時間だった。

 

 

二日目の朝、台風一過の太陽の下ボートに揺られながら、ふと思ったんだ。

 

「ない」って、幸せだなあ。

 

ないから分け合うし、ないから創り出す。

なんでもある国 日本にないものって、この精神的豊かさなんじゃないか。

幸せの定義について考える

日本58位、フィリピン69位。

国連が毎年発行している【世界幸福度ランキング】の順位だ。(2019年版)

 

日本が物質的に恵まれた国であることは、誰の目から見ても間違いない。

水道の水が飲める、新鮮な野菜が安価で手に入る、電車やバスが1分の遅れなくくる、快適なインターネット環境、いつでも温かいシャワーが浴びられる。

朝起きてから夜寝るまで、トラブルなく快適に過ごすことができる。

そんな恵まれた国 日本の【世界幸福度ランキング】は、58位。

 

一方で、水回りトラブルは日常茶飯事、停電は事前予告なし、公共交通機関に時刻表は存在しない、突然のインターネットトラブルは直るまで数日かかる、水風呂のあと、電気代節約のためドライヤーは使わない

そんな、発展途上国といわれるフィリピンは、同ランキングで69位。

 

これを見れば、物質的な豊かさと国民の幸福度は比例しないことがわかる。

日本人の幸福度が低いことについては沢山の人が専門的に研究しているけど、要因のひとつは、皮肉にも物質的な豊かさなんじゃないか。

なんでもあることは幸せか

なんでもある国、日本。

「ある」が当然であるがゆえに、少しでも歯車が狂うと途端に心の余裕を欠いてしまう。

・ネットサーフィン中、ページを開くのに10秒かかるとイライラする
・電車やバスが2分遅れると、何度も時計を見てしまう

日本人なら心当たり、あるんじゃないかな(私はある)

 

フィリピンで生活していると、うまくいかないことが想定内だからそもそも期待しないし、イレギュラーの事態にも動じず、冷静に次のアクションを考えられる。

トラブルはつきもの。

相手を許し、自分も許してもらう。それでいいのがフィリピン。

 

 

「ない」ものにばかり焦点を当てて不満を言う日本人。

「ある」ものに焦点を当てて満足するフィリピン人。

 

「ない」から今あるものに感謝するフィリピン人。

「ある」から感謝の心を忘れてしまった日本人。

 

 

日本にいると、他人を責めて自分を責めて、いつも心に余裕がなくて、息苦しかった。

フィリピンにきたら、他人も自分も許すことができて、その結果心に余裕ができた。

きっと、フィリピンにいるときの自分がすき なんだろうな。

フィリピン人は怒らない?

相手を許し、自分も許してもらう。

言葉にするのは簡単だけど、実際どんなことなのか。

これは最近私の身の回りで起こった、ちょっとしたことでは怒らないフィリピン人の事例です。

ランチの約束に誰も来なくても怒らない

「コノミの誕生日が近いから家族みんなでランチに行こう!」

時間ぴったりに、私と彼は待ち合わせ場所で待機。

自分の誕生日を恋人の家族がみんなで祝ってくれるというもんだから、私の心持ちとしてはちょっとかしこまってるわけ。

 

-15分後

彼のお母さんからメール。

「洗濯物を干さないといけないからやっぱり行けない」

(え?ランチ行くってわかってたよね?なぜ洗濯を始めた?)

 

-20分後

叔父さんからメール。

「やることがあるからやっぱり行けない」

(それ、あとでじゃダメなこと?)

 

私たち「じゃあ今日は二人だね!どこ行く?」

鍵を修理に出したら余計壊れても怒らない

車の鍵が突然機能しなくなったので、路上の修理屋さんに出す。

待つこと30分、お金も支払い済み。

帰っていざ使おうとすると、修理に出す前よりさらにぶっ壊れている。

それでも彼が鍵屋を責めたり愚痴を言ったりすることは一切なく、サリサリストアで接着剤やらなにやら購入して、二時間鍵と格闘して自力で直してた。(笑)

自分の家に他人が住み着いてても怒らない

彼の家の敷地内に、見たことない男性がくつろいでいた。(彼の家にはよく遊びに行っていたけど今までそんなことは一度もなかった)

その日はとくに気に留めることもなく素通り。

次の日、また次の日も同じ場所に同じ人が。

さすがに気になったので彼に「あの人は誰?私は会ったことないね」と聞くと、

「知らない。たぶん、叔父さんの友達じゃない?」

「あの人ここに住んでるの?」

「知らない。聞いてないから」

「知らない人が自分ちに住んでるかどうか知らないってこと?」

「聞けないよ!だって失礼だろ、よく知りもしないのに、いきなりここに住んでいるかどうか聞くなんて」

(他人の家に勝手に住む方がよっぽど失礼だろ・・・っていうかどんな状況?)

 

その男性は数日後にはいなくなっていた(マジで誰だったんだ・・・)

フィリピンではそういうの、あるあるらしい。笑

 

ここに挙げた例はあくまでも彼の身に起こったことにしかすぎないので、この例をもってフィリピン人の国民性とするのは無理があるけれど

少なくとも私は、フィリピンで彼と過ごすようになってから少しのことではイライラしなくなった。

「他人を責めない(だから私のことも責めないでね)」
「起こったことはしょうがないよね」

だからいつまで経っても国が発展しないというのはもっともな意見だけど、他人も自分も許せない日本に足りないものは、これなんじゃないかとも思う。

まとめ

フィリピンという国で生活する中で

「ない」ことの豊かさを知り、他人を許すことを覚えた。

 

ないものは分け合う、創り出す。

トラブルは起こるもの。誰かを責めたってしょうがない。

小さいことは気にしない。

 

フィリピン独特のゆるさを全体的に肯定するわけじゃないけど、日本という国に疲れてしまった私は、フィリピンのそんなところに恋してしまったのかもしれない。