フィリピンの庶民の足となり街中を走り回る、乗り合いバス「ジプニー」。
カラフルな車体で圧倒的存在感があります。
たった9ペソ(約18円)で相当な距離を移動できるだけでなく、実際に乗ってみると様々な角度からフィリピンの文化を感じることができるのもジプニーの魅力。
マニラのジプニーは危険だから避けた方が良いという記事をよく見ますが、バギオでは基本的には安全に乗ることができます。(もちろんどこに行っても貴重品などの自己管理は必須)
これは、ジプニーに乗ったら前に座っていたフィリピン人の誕生日会に誘われた話。
本題に入る前に、今回の主役であるジプニーについてご紹介します。
Contents
ジプニーとは
ジープニーまたはジプニー (jeepney) とは、フィリピンの全土でみられる乗合タクシーである。現地では単に「ジープ」と呼ばれる。マルチ・キャブと呼ばれることもあり、少し大きめのトヨタ・ダイナ級のシャシーから派生したハイウェイ・ジープニーという区分もある。車体形状は様々あり、キャブ・オーバー・ザ・エンジンのものも大小存在し、エンジン・アクセスのためのキャブ前傾機構も残されているものがある。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
もともとは第二次世界大戦後にフィリピン駐留アメリカ軍払い下げのジープを改造して製作されたのが始まりで、Jeep と北米で乗合タクシーを意味する アメリカ英語: jitney との合成語として jeepney と呼ばれるようになった。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
そういえば、朝の散歩中に元高校教師(歴史専攻)の彼がジプニーについて教えてくれたっけ。
ジプニーという乗り物がどれほど国民に愛され彼らの生活の支えになっているか、ということを知るには、2019年6月放送のNHKプレミアム 地球に好奇心「これぞジープニー人生~フィリピン版”国産車”は走る~」がおすすめです。
検索すると動画が視聴できるので是非。
私とジプニーの出逢い
ところで私のフィリピンデビューは、今から三年前の2016年・セブ島でした。
海がめちゃくちゃ綺麗だったり、
今まで食べたことのないほどジューシーなマンゴーに感動したり、
飲み屋に行ったら席について10秒後に停電し、当たり前のようにロウソクが運ばれてきたり。
色んな初体験があったセブ島。そんな中でも私が惹きつけられたのは、タクシーの窓から見たこの光景でした。
初めてのフィリピンであるにも関わらず大して下調べもしていなかった私は、それが「ジプニー」と呼ばれる乗合バスだということをその時は知りませんでした。
人が後ろにくっついている・・・
あの乗り物の中身はどうなっているんだろう・・・
気になる。
ところがホテルに戻って調べてみると、セブ島のジプ二―は危険なので移動には必ずタクシーを使いましょう と、どのページにも書かれていました。
なるほど、あれは怖い乗り物なのか。やめておこう。。。
そうして初めてのフィリピン旅行はジプニーに乗ることなく幕を閉じたのでした。
二度目のフィリピンは2018年、再びセブ島。
この時はダイビングのライセンスを取りに一人で行ったのですが、これが超タイトスケジュールで遊ぶ暇など一切与えられず、ジプニーに対する熱い想いを抱きながらも乗れず終い。
ライセンスをとってそのまま日本に帰国しました。
そして三度目が2018~2019年にかけてのバギオ留学。ジプニー乗車も比較的安全と言われているここバギオで、ようやくジプニーデビューを果たしたのです。
それでは本題に入ります。
ジプニーに乗ったら誕生日会に招待された話。
いざ、ジプニーデビュー。
私のジプニーデビューは留学生活最初の週末、友達と市場に向かう時だった。
不安だったのでその辺にいた人に聞いて、教えてくれたやつに乗った(ジプニーの乗り方については他のブログで紹介されているのでここでは割愛)
記念すべき、私の人生初ジープ。
お金はバケツリレー方式で運転手まで届ける って聞いてたけど、本物を目の当たりにして感動。。!
お釣りも、運転手からバケツリレー方式で返ってくる。
す、すげえ・・・1ペソの狂いなくちゃんと返ってくる。
ドライバーが、満員であろうと乗客の数をきちんと把握しているのもすごいし、
運転しながら手元に渡ってきたお金を確認して即座にお釣りを計算するのもすごいし、
何より乗客同士が協力して運賃を運転手まで届け、また同じようにしてお釣りが返ってくる「信用商売」でしかないこのシステムが、ここフィリピンで普通に成り立っている のがすごい。
初めて見たときからずっと気になっていたジプニーの中身は、すごかった。
「私の誕生日会に来ない?」
私たちの目の前に座っていた三人の家族。
フィリピン人のお母さん、アメリカ人のお父さん、小学生の娘ちゃん(家族構成はあとから聞いた)。
右も左もわからない私たちに、お金の払い方、どこで降りたらいいか、降り方まで教えてくれた。
10分程話すうちに、翌日にお母さんの誕生日パーティーがあると話してくれた。今日は前日準備で、ショッピングモールまで食料を調達しに行くらしい。
すると、主役であるお母さんが自ら私たちをその誕生日会に招いてくれたのだ。
フィリピン人は、家族ファースト。何よりも家族で過ごす時間が一番大事だと聞いていた。
この家族も、仲睦まじいのは他人の目から見ても明らかだ。
一年に一度の大切なお母さんの誕生日に、10分前に出逢った赤の他人(しかも外国人)の私たちが行っていいのだろうか?
と半ば戸惑いながら、一緒に居た二人の友人とアイコンタクトで意思を確認しつつ「いいの?いきたーい♪」と二つ返事をした。
彼らは私たちより先に降りるというので、「明日14時に学校の前に迎えに行く」とだけ約束をして別れた。
このとき連絡先を一切交換していないことに、この時は気付いていなかった。
フィリピンのおもてなし
翌日、私たちは約束通り14時に校門の前で待機。
連絡の手段はない。
何かの本に、フィリピンタイムとは約束の時間に遅れることだ と書いてあった。なら一時間は見ておくか。もしくは来ないだろう。と8割がた諦めの気持ちでとりあえず校門の前にスタンバイしていたら、
父ちゃん、時刻通りに現る。
家が学校の徒歩圏内だったので、徒歩でめちゃくちゃカジュアルに登場。親戚のおじさんかな?(笑)
学校からわずか5分の距離にある立派な一軒家に招き入れてもらった。
さらに現地の家庭料理、里芋のシニガンスープとチキンアドボを振舞ってもらう。
めちゃくちゃ美味しい・・・!
誕生日会に呼んでもらったというのにプレゼントの一つも用意していなかったので、ばらまき土産用に日本から持ってきていたフリクション(消せるボールペン)をあげたら、珍しいようでとても喜んでくれた。
歌と踊りが大好きなフィリピン人。カラオケセットがある家も多い。みんな歌手なの?ってくらいめちゃくちゃ上手い。
↑モザイクいれたら「そういう店」みたいな写真になった。
みんなでテキーラのショットを沢山飲んで酔っ払った。
本当に家族水入らずの、愛に溢れた誕生日パーティーだった。
たまたま同じバスに乗り合わせた見ず知らずの外国人を大切な家族の誕生日パーティーに招待するなんて、今の日本ではまずあり得ないことだ。
自宅にお邪魔しても、昨日会った人とは思えないほどよくしてもらった。
知らない土地で、出逢ったばかりの人の家に行くなんて危機意識がないと言われればそれまでだけど、なぜだろう、彼らから下心や悪い気持ちは微塵も感じず、逆に愛すら感じた。
帰国してからもマメに連絡をくれ、こっちで自然災害があれば心配してくれる。
でも、思い出してみるといつも旅行先ではこんな出逢いばかり。
自分の足で歩く、自分の目で見る、肌で感じるにこだわって現地を散策していると、いつも素敵な出逢いがある。
もちろん誰にでもついて行くわけじゃないし、誰を信じるかは状況に応じた自分の判断でしかないけど。
無難にタクシーに乗っていたら出逢えなかった人たちだった。
まとめ
バギオでジプニーに乗ると、地元の人の誕生日パーティーに招かれることがある。(ない)