フィリピンに恋して。
~フィリピン・バギオのリアルライフ~
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義家族がフィリピンからやってきた!~準備・渡航 編~

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お盆休みを使って、義母が義妹のダフニーを連れて日本にあそびにきてくれた。

義母にとっては人生初の海外旅行だ。

過去に10年パスポートを作ったが、一度も使うことなく有効期限が切れ、自分より先に息子(夫)が海外に行ってしまった。

もともとは、ゴールデンウィークの時期に日本にきたいと言われていた。だから、2月頃から情報収集を始め、ホテルの空き状況や航空チケットの安い時期をみて日程を決めたりした。

渡航に必要な手続きがわかったところで、いざビザの書類を集めようとしていたとき、突然「今住んでいる家の建て替えをするのでやっぱり行けない」と言われた。

段取る側の苦労というのは、なかなかわからないのだろう。

この時ばかりはさすがに夫に対して不満をぶつけたが、後になって考えてみれば、私自身、家族との再会を心から楽しみにしていたので残念な気持ちが大きかったのだ。

ところで家の建て替えの話は半年前くらいから聞いていたが、具体的な時期は決まっていなかったはずだ。それなのに、ゴールデンウィークに日本に行きたいと懇願していたにも関わらずなぜこの時期に……

フィリピンでこの手のことはよくあるので、とくに追求しない。

 

4月後半、「家の建て替えの話がなくなったのでやっぱり日本に行きたい」と言われた。

想定内だ。

2019年に夫がはじめて日本にきたのもゴールデンウィークで、気候がとてもよかったので私としては是非その時期にきてほしかったが、時すでに遅し。

次のチャンスは8月の夏休みか。

その時期の関東地方は猛暑。義母の住むバギオは通年20度前後と冷暖房いらずの快適な気候なので、最高気温が40度近くまでになる日本の気候にでは、せっかくの旅行を楽しめないかもしれない。

真夏の日本は本当におすすめしないと何度も念押ししたが、来年までは待てないとのことで、この時期にくることが決まった。

 

ビザ申請のための書類集めには2か月ほどかかった。

義母の出生証明書が印刷不明瞭で文字が読めない。追加書類として「洗礼証明書」と「高校の成績証明書」の2つがが必要だった。義母はイフガオ出身で、結婚してからバギオにきたから、成績証明書はイフガオに取りに戻らなければならなかった。

その他の書類も、印刷不明瞭なものに関しては補足で追加書類の提出を求められた。

出生証明書に関しては、内容が変わらないのになぜ3カ月以内に発行したものでなければいけないのか、というそもそもの部分が理解してもらえず(こっちとしては「しらない。ジャパニーズルールだから」と言うしかないのだが)発行日が書いてないのだからこれで大丈夫なはずだと言うので「どうせバレるよ」などとぶつくさ言いながら出されたものを提出すると、バーコード読み取りで発行日が判り即ハネられた。

 

フィリピン人が日本に渡航するためのビザ申請は、日本の公的機関が指定するエージェントを通すことになっている。

夫が配偶者ビザを取得したときと同じエージェントを使い、観光ビザを申請した。

直前に、フィリピン人夫をもつ日本の友人が、夫側の義家族の訪日ビザを申請したが不許可になったと聞いて(既に支払い済みの航空券代が無駄にならないかと)ヒヤヒヤしたが、大きなトラブルなくもビザを取得できた。

後から聞いた話、彼女たちの場合は義家族総勢7名分のビザの申請だったらしい。

 

入国に必要な書類も無事に揃い、いよいよ義家族の訪日がニ週間後に迫った頃、夫がこんなことを言い出した。

「フィリピンを出るのにAOS(Affidavit of Support)という書類が必要らしい」

4年前にも夫を観光ビザで招待したが、当時はそんな書類はなかった。

「そんなの聞いたことない。誰が言ってるの?」
「Facebookでみた」

最初は相手にしなかったが、だんだん不安になってきてツイッターでも聞いてみた。

やはり誰もフィリピンの出国時にそのような書類が必要であることを知らない。

調べていくうちに、どうやらAOSというのはコロナ禍で新たにできた書類で、フィリピン出国時に提示するものらしいということがわかった。

実際に提示を求められるかどうかは職員の裁量によるが、AOSがないために出国を許可されないケースも2022以降は実際に起きているという。

準備は念入りにするに越したことはないと、このあまりにも情報の少ない謎の書類をとりあえず手に入れておくことにした。

が、日本に住む私たちがAOSを用意する方法はひとつ。在日フィリピン大使館で記入済みの用紙に公証をもらい、それをフィリピンに郵送する ということだった。

この時点で来日まで二週間を切っていたので、物理的に間に合わないという理由で書類を用意することを諦めた。

税関で、たまたま担当職員の気が向いてAOSの提示を求められたら旅行自体が中止になるかもしれない、というギャンブル。

「それがフィリピンという国と付き合うことだ」と割り切って、当日税関通過の報告があるまでは、近くまで迫った大型台風の心配をするのも、具体的な旅程をきめるのもやめ、穏やかな気持ちで過ごした。

 

渡航当日の早朝、無事にフィリピンの出国審査を通過したとの連絡があり、ホッと胸を撫で下ろした。

結局、AOSの提示を求められることはなかったらしい。

ダニエル「代わりに勤務先の雇用契約書とIDを確認されたらしいよ」

コノミ「持ってたの?」

ダニエル「あるものはすべて持ってけって先に言っておいたから。雇用契約書、IDはもちろん、出生証明書、結婚証明書も持ってきてるはずだよ」

コノミ「す、すごい…」

ダニエル「コノミが100万回言ってたe-Travelは結局必要なかったってさ」

この手のことで夫に感謝したのは初めてだ。

 

朝早くに家を出て、電車を乗り継ぎ、夫と娘と一緒に成田空港へ向かった。

コ「ねえ、SIMカード買ったよね?ちゃんと挿してスマホ使えるかな」

ダ「何を心配しているの?」

コ「だって初めての海外旅行だから」

ダ「SIMカードなんてフィリピンで日常的に使ってるんだから大丈夫だって!」

こんなやりとりをしているうちにスマホが鳴り「入国審査が終わって今から荷物をピックアップするよ」と連絡がきた。

ビザの申請から始まり、バギオからマニラへの長距離移動、出国審査、搭乗、入国審査を経て、日本国内で連絡が取れる状態になり、ようやく私の心配事がすべて片付いた。

フィリピンでは夫が父親代わり。家族の面倒は夫がみていたし、分からないことは何でも夫が聞かれていたので、海外旅行という大イベントを本当に二人でできるのか、心配だったのだ。

▼ゲート付近でソワソワしている夫

待ちくたびれた娘が空港内を駆け回り始めた頃、ゲートが開き、義妹のダフニーが先に、それから義母が出てきた。

抱き合って再会を喜ぶ三人。色々な想いが込み上げてきたが、今回の旅行では撮影係に徹すると決めていたので、涙を拭ってしっかりそのシーンを動画に収めた。

孫に会わせるのに2年8ヶ月もかかってしまったが、義母の嬉しそうな顔をみて、大変だったビザ申請の苦労が一気に報われた気がした。