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夫が消防団に入りました。

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2024年4月。

ある晴天の日曜日、家族でドライブをしていたときのこと。

運転席の夫がつぶやいた。

「何か、コミュニティ活動がしたいな〜。地域の役に立つようなことがしたい」

 

その一週間後、夫のもとにメッセージが届いた。

「ダニエル、消防団に興味ない?」

夫婦共通の友人からだった。まるで、先週の会話を聞いていたかのようだ。

 

夢や望みは口に出すべきだ。そうすれば向こうからやってくる――
夫は日頃からそんなことを言っている。実際、彼を見ていると、本当にその通りになっている気がする。

夫は二つ返事でOKし、数日後には説明会のような場を設けてもらった。私と娘も一緒に参加させてもらった。

 

恥ずかしながら、それまで「消防団」という機関があることすら知らなかった私は、これを機に消防団について調べてみた。

消防団は、非常勤の消防チームで、担当エリアでの火災や災害発生時に必要に応じて招集され、消防署と連携して消火・救助活動などを行う。

地域内でいくつかの分団に分かれており、活動場所や練習の頻度も分団ごとに異なるらしい。

夫が誘われた分団は若い世代を中心に構成されていて、年に数回の重要なイベント以外は、子育てやプライベートを優先しても問題ないとのことだった。

活動内容のほか、当然、私が心配したのは「言葉の壁」だ。
それについても、「これくらい話せれば十分やっていけるから大丈夫」と言ってもらえた。

その夜、夫と話し合い「やっぱり入りたい」とのことで、「じゃあ、やってみたら」と背中を押した。

 

それから数週間後、友人から続報が届いた。

「ダニエル、コノミ、おはよう!
消防団の件だけど、今年1年間は、団として外国人を受け入れる体制を整える期間とすることになりました。だから、来年4月にもしダニエルの気持ちが変わっていなければ、ぜひ入団してほしいです」

消防団トップとの話し合いの結果、外国人を迎えるにあたり体制を整える必要があるとの判断だったという。

夫ひとりのために動いてもらうのは逆に申し訳ない気持ちになったが、外国人が増えている今、今回に限ったことではなくなるだろう。私たちは、次の知らせを気長に待つことにした。

 

2025年。年が明けた頃。
「そういえば、消防団の件どうなったんだろうね?」「さあね」
そんな会話を交わした数日後、再び連絡が来た。

「久しぶり!待たせてしまって申し訳なかったけど、ようやく消防団側の準備が整いました。もしダニエルの気持ちが変わっていなければ、ぜひ入団してほしいと思っています。どうかな?」

 

2025年4月、夫は晴れて消防団に入団した。

とくに何か努力したわけでもないが、「地域のコミュニティに属したい」という念願が叶い、大喜び。

フィリピンにいた頃、夫は消防士の試験に落ちたことがある。
それもあって、かつて叶えられなかった夢の一部を、日本で実現できたとも語っていた。

「入団式、妻と娘も見にきてよ」

そう誘われたが、ここがフィリピンなら嬉々としてついていくところだろう。
ただ、日本の消防団の入団式に家族が同行することはないだろう…と、私(日本人)は遠慮し、家のベランダからクールに手を振って見送った。

 

新しいことの始まりには、いつも新鮮さと適度な緊張感、そして楽しさがある。

制服を支給された日には、家でプチ撮影会が開催された。

翌月に行われる地域イベントの準備で、夫は仕事終わりに練習や打ち合わせに出かけるようになった。

 

消防団の連絡はLINEで行われ、日々の練習予定や出欠確認はGoogleカレンダーで共有される。
夫にとっては、「生きた日本語」に触れられる貴重な場となった。

週1回の練習やイベントの連絡、火事発生時の出動指令などが、頻繁に飛び交う。
だがその内容は「みんなの日本語」では習わない、“主語のない”日本語ばかり。
公的機関らしくやや堅い文面で、専門用語も多く、私にもわからないことがある。その都度調べたり、誘ってくれた友人に聞いたりした。

 

最初に勤めた工場や、今の職場ともまた違う、独特の緊張感がある。
たとえば、トレーニングの集合時間一つとっても、
「消防署に〇時集合(※一旦▲▲に〇時)」
というような日本語表現は、外国人の夫にとっては難解だ。翻訳アプリでも読み取れないことがある。

一度、集合時間を誤解して遅刻してしまってからは、私もLINEの内容をすべて確認するようになった。

 

入団して数回目の、他の分団との合同練習の日。
夫はひどく落ち込んで帰ってきた。

ダニエル「I made a mistake.」

自家用車で、絶対に通ってはいけない場所を誤って通過してしまい、他の分団のリーダー格の人にかなり厳しく叱られたという。

きっと、そこを通ってはいけないということは、どこかに表示されていたか、事前に口頭で説明があったはずだ。
けれど、夫には伝わらなかった。

コノミ「しょうがないよ、はじめてなんだし。Now you know。次から気をつけたらいいよ」

夫が普段私を励ますときに言ってくれるフレーズを、今度は私が夫に投げてみた。

夫がこんなに落ち込むのは、本当に珍しい。

外免切替の書類審査で3回落ちたときも、今の勤務先から2回目の「お祈りメール」が届いたときも、ここまでではなかった(笑)

それから1週間ほどはずっと気にしていたようで、次の練習のときに、同じ分団のメンバー一人ひとりに頭を下げて回ったという。

 

日本での生活も4年目に入り、日常の中で受ける刺激が少なくなっていた夫にとって、消防団への入団はよい転機となった。

日本の“縦社会”の厳しさに触れ、言葉の壁や小さなミスに戸惑うこともあるが、それらすべてが新たな学びになっている。

何より、本人が願っていた「地域とのつながり」を、今まさに感じているのだろう。

私自身にとっては、またひとつ(通訳・スケジュール管理補助という)タスクが増えたようにも感じるが、これまで知らなかった消防団の世界に触れ、学びがあった。

夫が完全に慣れるまでは、またいつものように夫婦二人三脚でやっていきたい。

最後に、ダニエルを誘ってくれて、面倒を見てくれているショウボウくん(娘がそう呼ぶ)ありがとう!