フィリピンに恋して。
~フィリピン・バギオのリアルライフ~
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イフガオで結婚式を挙げた話②~事前準備編~

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イフガオで結婚式をする場合、いわゆるchurch wedding(教会で挙式するキリスト教の結婚式)と、私たちが選んだような traditional wedding(村で行う伝統的な結婚式)の二通りがあるが、traditional weddingはとにかくお金がかかるので、イフガオ全体では40 〜50年前を最後に誰もやる人がいなかったそうだ。

さらに、後で知ったことだが、キアンガンでの traditional wedding は、村で初めてとのこと。だから、いざ結婚式をしようといっても、一体何から始めたらよいのか、誰もわからなかった。

夫に聞くと、いつも笑いながらこう言われた。
「Nobody knows because this is the first time!(はじめてのことなんだから誰もわからないさ!)」

薪割り

なんの動きもない中で、唯一「薪割り」だけがきっちり3ヶ月前に始まったことで、どうやら私たちの結婚式は本当に行われるのかもしれないと思った

結婚式では豚や牛などの動物を人々にふるまう。その調理に、大量の薪が必要になるのだ。

家の敷地内で切った薪を、風通しの良く雨の当たらない場所に積み上げて乾燥させる。

「薪割りは遅くとも2週間前には終わらせないといけない」
これが挙式の3ヶ月前に唯一決まっていたことだった。

結婚式のことは誰もわからないが、こうした生活するうえでの知識に関してはみんなプロフェッショナルだ。

日取り

結婚式の日取りが決まったのは、薪割りがだいぶ進んでからのことだった。結婚式をするしないに関わらず、仕事の冬休み期間でフィリピンに行くことは決まっていたから、航空券は早めにとってしまっていた。

滞在期間中で、移動日をのぞき、年末年始のイベントや帰国日のことを考えると、挙式は1月2日がよさそうとみえた。

それを夫に提案したところ、「ニューイヤーの翌日じゃ二日酔いで誰も準備しないよ。1月4日くらいならたぶん大丈夫」と言われ、あちらの事情はあちらの人が一番よくわかっているということで、帰国日を考えるとかなりタイトなスケジュールではあったが、挙式日を1月4日に決定した。

会場

会場は、とくに話し合うこともなくあっさりと決まった。夫の幼少期の遊び場であり、Tuli(割礼)の会場にもなった、キアンガンのバランガイホール横のバスケットコートだ。結婚式をするには十分な広さだった。屋根付きで、これなら雨天の場合も安心だ。

少し前に、同世代で日比カップルの友達がバギオの教会で結婚式を挙げたが、ウェディングプランナーがいながら雨が降った場合のプランBを考えておらず、当日雨が降りてんやわんやだったという話を聞いていたから、その心配をしなくていいというのはかなりポイントが高かった。

会場のすぐ隣に、夫が小学校一年生まで通ったデイケアセンターがある。当日は、そこを貸し切ってゲストが食事をできるようにするらしい。

ウェディングプランナー

「結婚式の中身って誰が企画するの?」
と私が聞くと、夫は決まってこう言った。
「Somebody will.(誰かがやるよ)」

数カ月後に、もう一度聞いた。
そもそも結婚式を企画することを仕事にしている人ってイフガオにいるの?」
「Yeah, someone.(誰かいるでしょう)」

そして、ウェディングプランナーが決まった。
「My mom and someone.(ママと誰かがやるよ)」

村にウェディングプランナーという人はいないのだろう、誰も捕まらないということで、義母が準備から本番まで全てを取り仕切ってくれることになった。

このとき、村で行う結婚式がどんなに大変なことか私にはまだ想像できていなかったので、ずいぶんと軽々しくお願いしてしまった。でも、あんなに大事になるとこの時点で分かっていたら義母に頼むことはできなかったかもしれないと思うと、無事に挙式を終えた今だから言えることだが、まあ知らなくて良かったのかもしれない。

送迎車

3歳になりたての娘にとって初めての海外渡航なので、これまでのように安さ重視ではなく、なるべく彼女にとってストレスのない移動方法をとることが、旅の最優先事項だった。

日本の家から成田空港まで、車で2時間。
成田からマニラまで、飛行機で5時間。
マニラからバギオまで、車で7時間。
そこからイフガオのキアンガンまで、車でさらに7時間。

私たちは、バギオで3泊したあとにイフガオへ移動することに決めた。空港からバギオへの移動は、ハイエースをレンタルし、義父と伯父さんに運転を頼んだ。

両親の渡比

私の両親も、私たちの一週間後に日本からはるばる来てくれることになった。結婚式とはいえさすがにイフガオまでは来ないだろうと思っていたから、来てくれると聞いたときは嬉しかった。

4年前、「ダニエルの暮らしを見てみたい」というだけの理由で、やっぱり年末年始の同じ頃に来てくれた以来だ。

前回と違うのは、マニラからイフガオまで私たちが同行できないこと。両親が頻繁に海外旅行をしていたのも、もう20年前のこと。フィリピンに慣れていないうえに、もう還暦超えの二人をイフガオまで来させるのは正直心配だった。自力で乗合バス移動は無理だろうと判断し、私達同様、レンタルバンにドライバーをつけてVIP送迎することにした。

運転は義母の知り合いに頼むとか、夫の元勤務先同僚に頼むとか、話が二転三転し、最終的に業者に依頼することになった。ドライバーは英語が話せないから、英語が堪能な義母のお姉さんと、ロラの妹が、同乗して両親を迎えに行くと名乗り出てくれた。

両親が来るのは1月2日。元旦の翌日だ。

日本のように、事前に交わす契約書などはない。メッセンジャーと電話でやり取りする、それだけだ。

私は夫に、
絶対に二日酔い運転や飲酒運転だけはやめてとドライバーに伝えてよ。それから、急がなくていいから安全第一で。」と、何度も伝えた。

ゲスト

日本での結婚式の場合、新郎側・新婦側のゲストの人数がおおよそ均等になるよう調整するのだと聞いたことがある。さらに、自分の友人もどの範囲まで呼ぶとか、あの人も呼ぶならこの人も呼ばないととか、ゲストのことで気を揉んでいる友人を何度かみてきた。だから、面倒くさがりな私にとってそのようなことを気にしなくていいのはかなりストレスフリーだった。

イフガオの結婚式では、ゲストとして招待状を出す人以外に、村の人が誰でも料理を食べに来て良いことになっている。このタダ飯は「Watwat(ワットワット)」と呼ばれる。

新婦側のゲストは、日本からうちの両親、そしてバギオで語学学校時代にお世話になった先生の3人。その先生が息子と姉を連れてくるというので、計5人だ。

フィリピンの結婚式でおもしろいと思うのは、ゲストとして招かれた人が勝手に家族や友達を連れてくることだ。イフガオの伝統的な結婚式に参加したことのある人は少ないので、みんな物珍しさについていきたいと言った。

夫は夫で、イフガオに住んでいる家族はのぞき、バギオの家族親戚十数名と、学生時代の親しい友達を厳選して呼んでいた。そして、日本人の友達も、日本やバギオから3人も来てくれることになった。

特別枠のゲスト

通常のゲストの他に、特別枠のゲストがいた。

ひとつは、ゴッドマザー&ゴッドファザー。
子どもが生まれるときのゴッドファザー、ゴッドマザーはよく聞くが、それの結婚式版ということらしい。義母側の家族は敬虔なクリスチャンだ。私はクリスチャンでないが、特に問題ではないとのこと。

ゴットファザー&ゴッドマザーの役割の一つは結婚式への金銭的なサポート。それ以降は、第二の両親として夫婦を見守り、ときに助言や支援をしてくれるのだそうだ。一組は、夫の元教え子の両親が名乗り出てくれた。この人たちには以前からお世話になっていて、今回も3日間のバギオ滞在では、無料で泊まる部屋を貸してくれた。もう一組はバギオに住む叔母夫婦にお願いした。

それとはべつに、Witnesses と呼ばれる人たちがいた。義母の叔母、義母の弟、パパラカイの妹の娘、近所の人の4人が選ばれた。
Witnessは、二人の結婚式を見守り、証人としてサインをする。

それから、イフガオのボードメンバー(理事)のロロ・ボイ、キアンガンのメイヤー(村長)、バギーニのバランガイキャプテン、そしてキアンガン最後のシャーマンも式に参列すると聞いた。

このボードメンバーのロロ・ボイという人は、メイヤーやバランガイキャプテン­よりも権力を持った人らしく、その地域ではこの人とお近づきになれることはとんでもないことだと夫が騒いでいた。

宿

バギオからイフガオまで往復14時間かけてきてくれるゲストのための宿が必要だった。そこで、私たちが宿泊する予定のホテルを、結婚式前日から丸ごと借りることにした。

ホテルのオーナーは義母の知り合いだったので、それなりに融通を利かせてくれ、値引きもしてくれた。「お義母さんの同級生の妹」というレベルでも親しい友達かように接してくれるのは、フィリピンみがある。義母の姉妹が「もっと割引してくれるべきだ」と文句を垂れていたのも、フィリピンみがある。

宿泊するゲストは全部で23人。日本人、フィリピン人、高校時代の友達、元職場の同僚、いろんな関係性の人がいたが、部屋は6人部屋、8人部屋と限られていたので、最低限男女だけ分けて、あとは初対面も関係なくこちらで部屋を割り当てさせてもらった。

動物(豚・牛)

当日いただく(現地の人は「献上する」という言い方をする)動物の種類・頭数は、新郎の地位や財力によって決まるらしい。

一般的には、豚や牛、水牛などだ。

本来、新婦側家族が提示した頭数だけ新郎側家族が用意することになっている。私達の場合は、私が日本在住の日本人であるという理由で、夫側の家族にすべて一任する形となった。

豚一頭が2万5000ペソ。母親豚の場合は3万ペソ。(¥65,000〜¥78,000)
牛一頭は7万5000ペソもする。

豚の頭数というのはとても大事なことらしく、急遽、村で「長老会議」が行われた。

その夜、義母から電話がかかってきて、用意する動物は豚6頭に決まったと言われた。

「どうしてその頭数に決まったの?」
「ママが出せるのは15万ペソまでだから、予算の中できめたんだよ」
「お金は私たちが出すんでしょう?」
「新郎側の家族が負担するのが村の伝統だから」
「それは知ってるけど、私達の場合はお義母さんが負担するぶんは私達が出そうって話してたよね?いくらなんでも金額が大きすぎるよ。どうしても出してもらわないといけないならせめて2頭だけ出してもらって、残りは私たちが払うんじゃだめなの?」
「僕もそのつもりだったけど。伝統的なやり方だからそれだけは譲れないんだって」

ここで、大変なことになってしまったとようやく気が付いた。
結婚式にかかる費用はすべて自分たちが出せば良いなどと、あまりにも軽く考えていたのだ。

古くから伝わる大切な伝統行事をとても軽んじていた自分が恥ずかしくなったし、本当にただの無知な日本人の私がイフガオで伝統的な結婚式をしてもいいのかと、急に後ろ向きな気持ちになってしまった。

義母が出せるのは15万ペソまで。
それは大金すぎる。お願いできない。
伝統だから、何が何でも出す。

と、しばらく押し問答が続いた。

何日かかけて話し合ったあと、結局、義母から豚を3頭、ロラから母豚を1頭献上してもらい、私達からは豚を2頭と母豚を1頭、献上することになった。

さらに、騒ぎを聞きつけた長老たちによって「第ニ回・長老会議」が開かれ、村全体として牛を1頭献上してもらえることになった。

▼資産家である牛のオーナー。通常7万5000ペソのところ、6万ペソまで値下げしてくれた

▼選定の結果、選ばれた牛

義母は、
「今まで自分一人で準備をしていてとても孤独だった。村の人達がこうして協力してくれて、ようやく一人じゃないと思えた」と夫の前で涙を流していた。

たくさんの大切な人たちが、時間も、お金も、労力もかけて、見返りを求めず、私たち二人の結婚式に力を貸してくれる。

大袈裟かもしれないが、村に入っていくということは、なにかすごく覚悟のいるような、人生をかけて重たいなにかを背負うような、でもやっぱり純粋に嬉しいような、今まで味わったことのない心境になった。

食事

動物以外の食事全般(米、野菜などのおかず、調味料、種類)は、新婦側の家族が負担することになっている。

両親は年末年始の高いチケット代を払って来てくれるので、これは私たちで払うことにした。

数百人の村人が食べに来ると聞いていたので、気になるのは予算だったが、結局最後まで予算は「わからない」ままだった。

わからないものはわからないし、10万、20万かかるわけではないので、当日の請求を待つことにした。

写真・動画撮影

撮影は、夫の学生時代の親しい友人であるサムにお願いしたいと思っていた。ところが、サムに連絡をすると「やりたい気持ちは山々だけど、カメラが壊れてるからできない」というなんともフィリピンらしい展開。

友人のサムに撮ってほしかっただけで、他のカメラマンなら雇わなくてもいい、と最初は思っていたが、挙式が近づくにつれて、せっかくだし記念に撮ってもらってもいいかもという気持ちが強くなっていった。

そこで、サムにカメラマン繋がりの知り合いを紹介してもらい、彼に写真と動画の撮影を頼むことにした。

ダンス

「イフガオの民族ダンスは踊るの?」

以前YouTubeでみたイフガオの結婚式動画では、新郎新婦がイフガオの民族ダンスを踊っていた。たまに、家で真似てみせると、夫に全然違うと笑われた。

私は、中学生の体育祭でやった創作ダンスでも憂鬱になるほど、ダンスが苦手で嫌いだ。もし人前で踊るのなら何週間前から練習しないとならない。

ところが、夫にダンスはやるのかとしつこく聞いても、答えはいつも決まって「I don’t know. Maybe not.(しらないよ!たぶんやらないんじゃない)」だった。なんだ、やらないのか。あれが一つの見どころだと思っていたから、やらないならやらないで少し残念。

衣装

イフガオの伝統的な結婚式では、新郎はWano(ワノ)、新婦はTapis(タピス)と呼ばれる民族衣装を着る。

2019年にはじめてイフガオの親戚を訪問したとき、特別にといって本物のそれを着せてくれたことがある。

▼2019年当時の写真。夫と出逢って3か月後

本物はとても高価らしく、親戚の間ではその家族しか持っていない。着せてもらうことが決まったとき、「あとでロラにきちんとお礼を言ってね」 と夫に耳打ちされたのを記憶している。

私は、国際結婚なんだから日本の文化も多少取り入れたほうがいいとの義母からの提案もあり、式の前半はタピスを、後半は着物を着る流れを希望していた。

しかし、私は自分の着物をひとつも持っていない。母親の着物は高級なものばかりだし、レンタルしても海外に持っていくことはできない。バギオに着物レンタルショップがあると言われ、それでいいかと思ったが、店のサイトをみてみると写真撮影用のチープな見た目だったので、結局イフガオの衣装一本で行くことにした。

装飾・ケータリング

前にユーチューブで見たイフガオの結婚式は、屋根もなくだだっ広いグラウンドのようなところだったので、「装飾」というものが存在することにまず驚いた。

「シンプル版とゴージャス版。どっちがいい?」

私も夫も、迷うことなくシンプルな方を選んだ。
夫とは好みが似ているので、こういうときに揉めなくて良い。

イフガオの民族衣装を着てここに座っている自分たちを想像したところで、ようやく実感がわいてワクワクしてきた。

挙式前日にはゲストが来るので、前日と当日の夕方にご飯が届けてもらうよう手配をした。

記念品(トークン)

ゲストへの贈り物を Token(トークン)とよんだ。日本でいう引き出物、とまではいかないが、来てくれたゲストへの手土産だ。

義母からは、新郎新婦の顔写真が入った物がいいと言われていた。それも、食べ物ではなく長くとっておけるもの。

そういわれてみれば、フィリピン人の家に行くと、カップルの写真入りマグカップとか、キーホルダーとかが家の片隅に置いてあるのを何度かみたことがある。あれは結婚式の引出物だったのか。

日本人の私からすれば「自分以外のカップルの写真が入った物、いるか…?」という感想しか出てこない。その純粋な疑問をぶつけると「もらったら嬉しい」とのこと。このへんは、感覚の違いだなぁと思った。

私が乗り気でないので、夫が一生懸命調べてはこんなのはどう?と見せに来てくれる。だが、やっぱり私たち二人の写真が入ったマグカップでみんながコーヒーを飲んだり、キーホルダーをバッグにつけてジプニーに乗っている姿を想像すると、どうしてもおかしさしかないのだ。

もう一つネックになるのが値段だった。日本で写真入りの物を作るとなると、高い。高いといっても一つ2,3千円くらいだが、私たちがトークンに回せる予算は限られていたので、とてもじゃないがゲスト全員分のそれを用意するのは無理だった。

結局、フィリピン人ゲストには日本の「だるま(小)」、特別枠のゲストには「箸と箸置きのセット」、3人の日本人ゲストには「イフガオの木彫り」、そして全員に娘の写真入りパッケージのドリップコーヒー(1袋入)をおまけでつけることにした。

「私たちの写真より娘の写真のほうが可愛くていいし、コーヒーなら飲んだら捨てられるから相手にとっても負担にならない」という私の意見に夫は納得のいかない顔で「ぼくなら飲まずにとっておく」と言った。

招待状

日本を発つ3日前くらいに、義母から一枚の写真が送られてきた。

ゲストへの招待状だ。私も後で記念に一部もらったが、しっかりした作りでデザインも可愛い。ワンポイントの布リボンはイフガオの柄だ。まさか招待状を用意してもらえるなんて思っていなかったので驚いた。

そしてA4サイズのチラシを600部、配り終えたよーと、事後報告された。近所の人達にも協力してもらい、村を越えて、配ってきてくれたのだという。

村ではじめての伝統的な結婚式なんて、本当にできるのか―そんな私の心配をよそに、私たちのウェディングプランナーである義母が、細部まで完璧に計画してくれた。

じつは、結婚式の準備期間とちょうど重なる時期に、家族の中で大問題が起きていた。その内容についてはここでは触れないが、家庭の問題に直面しながら仕事と両立し、合間をぬって私たちの結婚式の準備をしてくれた義母には頭が上がらない。

現地入りしてから私たちができることは少ないが、何としてでも結婚式を成功させ、みんながやってよかった、来てよかったと思える一日にしようと決意した。