
夫の育った言語環境
夫は多言語話者だ。
母語であるタガログ語、第2言語の英語のほか、フィリピン国内の複数の言語を流暢に話す。
フィリピンには、タガログ語以外に170以上もの言語があると言われており、夫の生活圏内でもさまざまな言語が話されている。
義父はマニラ出身、義母はイフガオ出身。
家族との会話で、夫はイロカノ語(イロコス方言)、イロカノ語(ベンゲット方言)、イフガオ語を、相手に応じて使い分けている。
父親とはイロカノ語(イロコス方言)
母親とはイロカノ語(ベンゲット方言)
祖母とはイフガオ語
一番歳の近い妹とはイロカノ語(イロコス方言)
二番目、三番目の妹とはタガログ語
という具合だ。
さらに友人同士でも、グループごとに使用する言語を切り替えている。
これらの言語の違いは、日本の「方言」のようなものかと思いきや、実際には「韓国語と日本語」ほどまったく異なる言語なのだという。
イロカノ語(イロカノ方言、ベンゲット方言)も、よく聞いてみると単語そのものがまったく違っていたりする。
フィリピン人がどのような言語を習得するかは、家庭環境や教育方針によって異なるようだ。夫の家では、最初にタガログ語で育てられ、成長するにつれて周囲の大人や友人の影響で、徐々に英語やイロカノ語を覚えていった。
小学校に入ると、教科によっては英語で授業が行われることもある(タガログ語だけでは語彙が足りず、表現しきれないため)。そこで自然と英語を習得する。
私が一番下の義妹に初めて出会ったとき、彼女は8歳で、タガログ語しか話せなかった。英語は私と同じくらいのレベルで、読めない単語やスペルミスを家族に指摘されていた。
今、14歳になった彼女は、タガログ語と英語を使い分け、さらにイロカノ語も少しずつ理解できるようになってきた。
では、家族全員が同じ部屋に集まったときはどうするのか。
大人だけで話すときはイロカノ語
下の妹たちも交えて話すときはタガログ語
という使い分けになる。
トライアンドエラー:「奥さん」の関門
そんな言語環境で育った夫だからこそ、日本語の習得も早かった。
日本に来て3年。最近は日常生活でことばに困ることはほとんどない。
日本に長く住んでいてもほとんど日本語を話さない人もいるが、夫との違いはなんだろう?
観察していて思うのは、言語や文化への興味の有無もさることながら、最大の違いは「間違いを恐れず、ひたすら話しかけまくる」ことだと思う。
これは、夫の得意分野だ。
耳からインプットした語彙を、とにかく「即」使ってみる。3年間、これをひたすら繰り返していたように思う。
トライアンドエラーは当たり前。
たとえば来日して間もない頃、保育園に娘を迎えに行ったときには先生に「またね~!」と言ったり、スーパーで知らない人の前を「しっつれ~い♪」と軽やかに通り抜けたりしていた。
最近ではこんなことがあった。
職場の飲み会で、家族の話題になった。
Tさん「うちは子どもが一人います」
ダニエル「そうですか。Tさんのおくさんは何歳ですか?」
Tさん「47歳です」
~帰宅後~
ダニエル「ねえ妻、『おくさん』って、”こども”って意味でしょう?」
妻「それは『おこさん』ね。『おくさん』は、ワイフの意味だよ」
次にTさんに会ったときは平謝りしたそうだ。
このエピソードで「奥さん」という単語を覚えた夫は、さっそく使ってみることにした。
勤務先の小学校で、校長先生と草むしりをしていたときのこと。
ダニエル「校長先生の奥さん、仕事は何ですか?」
校長「○○で働いてたよ。でも、なくなっちゃってね」
ダニエル「そうですか……」
夫はそれ以上話題を広げることができなかった。
しばらくして、共通の知人Aさんと校長先生の話をしていたとき――
ダニエル「校長先生の奥さん、死んじゃったんだって」
Aさん「ええ?!でも、ついこの間年賀状が届いたばかりですよ」
ダニエル「このまえ、”なくなっちゃった”って言ってたんだけど……」
~帰宅後~
ダニエル「ねえ妻、『なくなっちゃった』って ”passed away(亡くなった)”って意味でしょう?」
妻「それは、”仕事がなくなった”って意味だったんだと思うよ」
ダニエル「Whaaat???」
妻「同じ言葉でも、意味が違うんだよ」
とんだ勘違いだった。
「ご愁傷さまです」という言葉を知らなかったことが、むしろ幸いだった。
こんなふうに、疑問に思ったことを家に持ち帰って妻に確認――それを3年間毎日続けたことで、今ではマクドナルドのドライブスルーも問題なく利用できるまでになった。
4歳の娘と、日本語歴3年の夫の言語習得過程
ダニエル「今日の新しい単語は3つ。『部長』『部品』『OB』。」
妻「すごいね。どうやってそんなに覚えられるの?」
ダニエル「その語彙が使われている場面や、既に知っている語彙と関連づけるんだよ」
たとえば――
この間、消防団員たちの会話を聞いていたとき(夫は今年から消防団に入団)
A団員「B団員は次期部長だもんな!」
B団員「ははは、来年、部長ですね(笑)」
ここで「ぶちょう:bucho」という新単語を耳にする。
翌日、消防団の集まりで、無料配布のペットボトルの水を団員がそれぞれ1本ずつ取っていく中、一番偉い人(=部長)が「俺は部長なんでw」と言いながら2本取った。
これを見ていた夫は、「bucho=group leader」だと理解した。
帰宅後、ネイティブの妻に意味を確認し、「部長」という言葉のインプット作業が完了した。
子どもがことばを習得するときも、同じようなプロセスを踏んでいると、何かの本で読んだことがある。
たとえば、「わんわん」という概念をインプットするために、最初はすべての動物を見て「わんわん」と言い、そのうち大人がライオンやゾウを見てもそう呼ばないことに気づく。そして、耳が三角で「ニャー」と鳴く動物に対して「わんわん」と言ったとき、「あれは猫ちゃんだね~」と訂正されることで、「わんわん」が指す対象を正しく理解していく。
このトライアンドエラー方式は、我が家の4歳児もまさに実践中だ。
彼女もまた、流れるような会話の中で聞いたことのないことばが一つでも出てくると、即座にピックアップして質問してくる。
そして、一度インプットしたことばをすぐに使い、大人の反応を見て修正しながら、少しずつ自分のものにしていく。
直近で聞かれたのは、「電線」「イコール」「効率」など。
基本的な名詞から和製英語までさまざまだが、子どもだからと難しい言葉を避けず、聞かれれば淡々と説明することを心がけている。
パパは英語の人
娘は、使う言語によって人を分類しているようで、以前はこんな感じだった。
パパ=英語の人
ママ=日本語の人
自分=日本語の人
最近ではこう変わってきたようだ。
パパ=日本語を勉強中の英語の人
ママ=英語を話すことができる日本語の人
自分=英語を話すことができる日本語の人
夫が助詞や単語を間違えると、娘が訂正してくれることもある。
娘が2歳頃までは夫の日本語力が上だったが、彼女が3歳を過ぎた頃から急速に追いつき、今ではかなりの差をつけている。
母語を猛烈な勢いで習得中の4歳には、さすがの夫も敵わないようだ。
そんな2人から日々刺激を受け、私も英語やタガログ語の勉強を隙間時間に続けてはいるが、なんせ10分前に唱えていた単語すら思い出せないことがしょっちゅうだ。
言語はツール
夫は、言語を「人と仲良くなるためにインストール必須のツール」だという。
実際、ルソン島を旅行していた際、夫が現地の言語を話すと、それまでよそよそしかった人々の態度が一変し、親切に接してくれる場面が度々あった。
地域の人々と同じ食べ物を口にし、同じ言葉を話す。それだけで距離が縮まるものだ。
日本語という複雑な言語を習得し仲間を増やしていく夫の姿は、まさに「言語はツール」を体現している。そして「間違えて、学んでいく」を魅せてくれる彼から、日々勇気をもらっている。
私自身も、夫と娘の成長を見守りながら、言葉に限らず、学ぶことを楽しむ力を育てていきたいと思う。