
週に一度、市が無料で開催する日本語教室に、夫が通い始めた。
同じ頃、父が日本語教育能力試験に合格したため、夫は「学ぶ側」として、父は「教える側」として、それぞれの立場で同じ教室に通うことが、毎週の習慣になった。
この日も、夫が車で父を迎えに行く約束になっていた。ところが、家を出てからわずか5分後、私のスマホの着信が鳴った。
ダニエル「今日、日本語教室に行けない」
コノミ「なんで?」
ダ「友達がケガした。病院に連れて行かないといけない」
コ「了解。パパには伝えておくね」
ダ「何回かオトウサンに電話してるんだけど、出ないんだよ。スマホ見てるかな?どの病院に行けばいいか、オトウサンかオカアサンに聞きたいんだけど」
コ「今、その人と一緒にいるの?電話でパパに伝えたとしても、傷口を見ないと判断できないと思うよ。とりあえずうちに連れてきたら?」
10分後、夫の運転する車が戻ってきた。助手席にはケガをした本人、後部座席にはもう一人の友人が乗っていた。
ケガをしたのは、アッシュ。近所に住むフィリピン人の友人である。 就労ビザで日本に来て、工場で働いている。
アッシュは料理が得意で、先月もうちに来て「ディヌグアン(豚の血のシチュー)」を振る舞ってくれた。
この日も夕飯に必要な人参を買いに、自転車でスーパーへ向かっていたところ、転倒したらしい。 相手がいなかったのは、不幸中の幸いだった。
コノミ「Sayang……人参のために大ケガしちゃったのね」
アッシュは、左足の親指の第一関節あたりをケガしていた。 転んでからすでに1時間近くが経過しており、出血は止まっていたが、皮膚と肉が裂けて骨が見えているようにも見えた。
本人はかなり痛がってはいたものの、顔色はよく会話もできている。 そこで、今から診てもらえる外科や整形外科を、手当たり次第に探すことにした。
夫「さっき〇〇病院に電話したけど、診られる先生がいないって断られたんだよ」
そこは近くの総合病院で、たしか週に2回ほどしか外科医がいなかったはずだ。
次に、車で30分ほどの場所にある別の総合病院に電話してみたが、「まずはもっと近くの病院から当たってほしい」と断られた。
3つ目に電話した整形外科では、夜間対応の医師がまだ到着していないとのことで、「1時間後にもう一度連絡してください」と言われた。
ならばと4つ目に連絡した整形外科には、「骨が見えているようならうちでは処置が難しい。より大きな総合病院に行ってください」とのことだった。
どの病院も話は親身に聞いてくれるが、「骨が見えているかもしれない」と伝えた瞬間、「ああ……」と、難しさをにじませた反応になる。だが、黙って連れて行くわけにもいかない。
すぐに出発できそうになかったため、一旦うちに上がってもらった。ちょうど夕飯を作っていたので「食べていきなよ」と勧めたが、2人は遠慮して、近くのコンビニで何か買ってきた。
しばらくしてから、1時間後に再度連絡をと言われた3つ目の病院に、再び電話をかけた。
だが、話がうまく伝わっていないようで、また一から同じ説明をすることになった。そして案の定、
「骨が見えているのであれば、うちでは対応が難しいですね。申し訳ありません。」
――断られてしまった。1時間待ったのに。
そこで、#7119(救急電話相談)に電話してみることにした。
これまでの経緯を伝えると、少し距離のあるところも含めて、新たに4つの病院を紹介してくれた。
コノミ「これ、明日の朝まで待って、それから受診しても大丈夫そうですか?」
#7119「傷が深い場合は、早く処置をしたほうがいいです。万が一すべての病院で断られたら、救急車を呼んでください」
コノミ「わかりました。(救急車か…。そんなに大事にはみえないんだよなあ)」
そう案内された直後、紹介された病院に電話をかけようとしたところで、さっき断られた3つ目の病院から着信があった。
電話に出ると、応対したのは先ほどとは別のスタッフだった。
病院「もう一度医師と相談しました。もしまだ病院が決まっていないようであれば、うちで受け入れます」
とのことだった。どういう経緯かはわからないが、向こうから連絡をくれたのは本当にありがたかった。
病院「ご本人の国籍はどちらですか?」
私「フィリピンです」
病院「日本語は話されますか?」
私「私が通訳として同行しようと思っていますので」
病院「ああ、それは助かります。ありがとうございます」
その病院は、夫がアキレス腱を断裂して入院・手術を受けたときにお世話になったところだ。なぜかGoogleの口コミ評価はあまり良くないが、私たちはとくに嫌な思いをした記憶はない。

ようやく受け入れてもらえる病院が見つかり、出発しようとしたときのこと。
ダニエル「えっ、妻も行くの?もう8時半だよ。娘もいるし」
と、夫が驚いた顔で言う。
コノミ「え?だって通訳がいたほうがスムーズじゃない?」
ダ「僕一人で大丈夫だって!」
コ「あなたの日本語は本当に上手だけど、医者ってすごく早口じゃん。今回は時間外診療だし、次の予約とか、支払いのこととか、何か誤解があったら病院にも迷惑がかかると思う。日本人がいたほうがいいよ」
夫は、歯医者や皮膚科にはいつも一人で予約して行っているが、「半分くらいしか聞き取れなかった」とよく言っている。
今回も「付き添いは自分ひとりで大丈夫」と最後まで主張していたが、病院側に迷惑がかかっては困ると思い、半ば強引についていくことにした。
時間外で診てもらうのだから、同行者はできるだけ少ないほうがいいはずだ。うちでビールを飲みながらスマホをいじっているだけの、もう一人の友人は帰ってもよかったのでは?(笑)――とも思ったが、よく考えてみれば、私のほうが彼よりも「部外者」だった。
誰に迷惑をかけるわけでもないし、別にいいか。そう思い直し、アッシュ、友人、夫、私、そして4歳の娘を連れて、みんなで病院へ向かった。
病院に到着し、すでに閉まっている入口を開けてもらったとき、車からゾロゾロと人が降りてきた。なんとなく気まずい雰囲気になったが、そう感じたのはおそらく私と病院のスタッフだけだろう。
受付で、「ここから先は、患者さんと付き添い1名でお願いします」と案内され、アッシュと私の2人だけが中へ通された。
まず問診票を渡され、アッシュに内容を確認しながら、私が代筆する。
こういうところが、外国人には特に難しいと感じる部分だ。 今は翻訳アプリがあるので、スマホさえあればどうにかなるとはいえ、日本語が読めない人にとっては大きなハードルだろう。
問診票を記入し終えて、診察の順番を待っている間、アッシュと少し話をした。
コノミ「仕事は、どんなことしてるの?」
アッシュ「(工場で)重いものを押して運ぶのが、自分の担当」
コ「あら、それは大変。じゃあ明日は休まないとね。日本で怪我したの、初めて?」
ア「こういう大きいのは初めてだよ」
コ「この問診票もやっかいだよね。全部日本語だし」
ア「そうだね。ROMAJIだったらいいんだけど(笑)」
その後、レントゲンを撮って診察室へ。
皮膚と肉は切れていたものの、幸いにも骨に異常はなく、縫合も不要だった。見た目ほど重傷ではなかったようで、ひとまず安心した。
病院「月曜日にもう一度来てください。それと、今日は時間外のためお会計ができません。今日の診察分は、次回来院時にまとめて精算となります」
コ「次は一人で来ても問題ないですか?」
病院「言葉が通じるようであれば…」
私が「仕事終わりなら来られるけど」と提案したが、「申し訳ないから」と、彼は別の日本語が話せる友人に付き添ってもらうことにした。
――これは余談になるが、夫の周りのフィリピン人たちは、みんな私に対してどこか「遠慮」している。
うちで夕飯をすすめたときも、病院への付き添いもそう。
普段、うちの車に乗ってもらうときも、みんなが何度も「ありがとう」とお礼を言ってペコペコ頭を下げてくれる――私はまったく気にしていないのだが。
初対面でも昔からの知り合いのように親しげに接してくれる、私がよく知るフィリピン人たちの様子とは、少し違う。
それは、ここが日本だからなのか、あるいは私が「日本人妻(Strict Japanese Wife)」として恐れられているからなのか。私はそこに、見えない壁があるのを感じていた。
待合室に戻ると、フィリピン人の友人がもう一人増えていて、皆で楽しそうに談笑していた。
ダニエル「フィリピン人は友達だから、みんな見に来るんだよ。ハハハハハ(笑)」
帰る頃には、すでに22時を回っていた。
車の中で、通訳としての自分の日本語力を発揮できなかったことが悔しいのか、夫がまた不満げに言う。
ダニエル「一人でやれたのに!(笑)」
コノミ「あなたの日本語は本当に上手だよ。ただ今回はちょっとイレギュラーだったから、複雑だった」
ダ「But sometimes we have to get through it without the help of the Japanese.(日本人の助けを借りずに乗り切らないといけないときもある)」
コ「まあ、そうだけどさ。近くに手があるときは借りたらいいじゃん。それが“パキキサマ”でしょ」
*パキキサマ…他者との良い関係を築き、集団の一体感を保とうとするフィリピンの文化的価値観を表す言葉
アッシュのように、就労ビザで日本に来て、期間限定で働いている外国人はたくさんいる。
今回の出来事を通じて、日本人の配偶者や知人がいない外国人にとって、病院、特に急病や時間外診療がいかに高いハードルであるかを、身をもって実感した。
翻訳アプリを使えば病院に行くこと自体は可能だし、どうにかなる場面も多い。だが、今回のように何件も病院に電話をかけ、診てもらえる場所を探し回るようなケースでは、なかなかスムーズにはいかないだろう。
医療に限らず、言葉の壁によって諦めざるを得ないことは身近にたくさんある。それが「外国に住む」ことなのだからといってしまえば、それまでだ。だけど私は、日本人妻という立場から、彼らの状況を想像できる者として「自分にできることは何だろうか」と考えずにはいられないのだ。
後日、アッシュがお礼にと、魚のココナッツミルク煮を持ってきてくれた。
彼の就労ビザは、間もなく期限を迎える。
日本で次の仕事を探していたが、どうやら見つからなかったようだ。
「6月末には、久しぶりに家族と会えるよ」
そう笑顔で話す彼の表情には、少しの名残惜しさと、大きな安堵が、入り混じっているように見えた。