フィリピンに恋して。
~フィリピン・バギオのリアルライフ~
日本生活 PR

フィリピン人夫、日本で先生になる。

記事内に商品プロモーションを含む場合があります

 

ついに、夫がALTの内定をいただいた。

 

おめでとう!!!!!!!!(号泣)

 

食品工場で働きながらALT職を目標に就活を続けて約半年。

たった半年なのに、なんだかとても長く感じた。

英語教育関連(ALT、英会話スクール、プリスクール)でいえば

ザっと20~30社は応募したと思う。

途中、本人もヤケクソになって条件も見ずに片っ端から応募している時期もあったし

私自身フォローが追い付かず、精神的な疲れもあって放置した時期もあった。

 

今回内定をいただいたところは、就活を始めた当初から目標にしていた「第一志望」

実は既に2回採用を見送られていた。

これで決まらなければ、一旦ALTは次年度の採用時期まで諦めて

他の工場に転職しようと決めていて、すでに次に応募する工場のあたりもつけていた。

そんなタイミングで急遽ある学校に空きが出たと連絡をいただき

3度目のチャンスを手にすることができた。

 

父上「日本語では、三度目の正直って言葉があるよ」

夫「なんですかそれは」

父上「勝負や占いなどで、一度や二度はあてにならないが、三度目は確実であるということ」

夫「ハハハ、それはよかったです」

父上「あ、でも二度あることは三度あるとも・・・」

私「それは今言わなくていいと思いますハイ」

 

元々結果を連絡するといわれていた日には

待てど待てどスマホは鳴らず

誰も口にはしないけど家族全員が内心「ダメかも」と思った。

だから翌朝、内定通知のメールが届いた時には思わず家の廊下で夫と抱き合って喜んだ。

 

 

「また教員の仕事に戻りたい」

そう口癖のように言っていた夫。

フィリピンで大学卒業後は、中高生に歴史と道徳の科目を教えていた。

教える仕事は楽しいし生徒や保護者からも慕われていたけど

サービス残業三昧、安月給(10,000ペソ)という労働環境は

長男で3人の妹の父親代わりでもあった夫には現実的ではなくて

やむなく退職。

日本に来ることが決まってからは、

「日本の学校で英語を教える」という新たな目標ができた。

それがもうすぐ現実になる。

めちゃくちゃ嬉しい。

何より、今回のチャンスは彼自身の努力で掴んだという点。

(もちろんそれ以外に家族の多大なる協力があったことは言うまでもないけれど)

彼の話を聞いていると

フィリピンでは、人や運、お国柄に助けられながら

学業も仕事もなんとなくうまくいっていた部分があって

ひとつの目標を必死で頑張ってクリアする、という成功体験が今までにひとつもなかったように思う(運も実力のうちとはいうけれど)。

今回、日本にきて、慣れない環境の中で身体を壊しながら何社も落ち続けて、それでも諦めなかった。

他人のことを偉そうに語りながら、私自身も大きな成功体験や自分で何かを掴み取った経験がごく少ない人間なので、そんな夫を間近で見ていてすごくパワーをもらったし、

同じ会社の選考を2度落ちても果敢に3度目に挑戦するその姿勢は見習いたいと思った。

 

とはいえまだ何も始まってない。

ようやくスタート地点まできた。

今度は、独特すぎる(?)日本の学校の文化の中に入っていかないといけない。

また一波乱ありそうだけど、未知すぎてちょっと楽しみ。

日本人妻、しばらく夫サポートサービスサボってたけど、ぼちぼち再開します。

 

フォロワーさんのツイートで

7月に受験したJLPTの結果がオンライン開示されているのを知って、今朝開いてみた。

はじめて受験したJLPTのN5。

結果は「合格」

N5なんて簡単すぎて受ける価値もないという人もいるけれど

今回は就活に使えるかどうか、ということよりも「夫に日本で初めての成功体験を積ませる」という目的において、

(妻の私にとっては)絶対に落とせない大事な一戦だった。

そんなに100%の力で取り組んでいなかったので(本人に言ったら怒られるかもしれないけどたぶん自分でも気づいてる笑)

予想してた以上に点数は低くて、合格ラインの低さに助けられた部分もあったけど

とにかく受かるか落ちるかの二択で受かったんだから、これもまた夫の中に自信として蓄積しておけばいい。

次のN4は、本気でやらないと普通に落ちるだろう。

 

濃厚すぎる2022年も、もう3分の2が終わってしまった。

我が家は9月から新たな一歩。

次はどんな波乱が待ち受けているのか、乞うご期待!