
バギオ大聖堂の周りには、観光地ならではの “写真ビジネス” の人たちがいる。
建物の写真を撮っていると、「Picture?」と声をかけられ、スマホを差し出すように手を伸ばしてくる。きっと撮影をお願いしたら、お金を請求されるのだろう。
私たちが行った日は平日で、そうした人はオジサン二人だけだった。一度断ればしつこくついてくることはない。

さらに階段を降りると、白い花で作られたブレスレットのようなものを売っているおばあさんが座っていた。
東南アジアではよくある光景に、私は目もくれず通り過ぎようとした。
すると娘が一言、
「あれ、サンパギータのくびかざりじゃない?」
夫にたずねると、当たり前のように「そうだ」と言う。
私はそういう場所で人から物を買う習慣がなく、むしろ避けていた。
(あれがサンパギータなんだ〜)と心の中で思いながらも、娘に「買いたい」と言われたらイヤだなと思い、手を引いてそのまま立ち去ってしまった。
じつは、フィリピンへ行く少し前に一冊の絵本を買っていた。タイトルはまさに『サンパギータのくびかざり』。

舞台はミンダナオ島。病気のお母さんのために、少女がサンパギータの花で首飾りを作り、それを売って食べ物を買おうとする物語だ。
一度しか読んでおらず、(しかも私は読み聞かせの最中に別のことを考えてしまっていて)あまり記憶に残っていなかった。けれど娘は、一度の読み聞かせで「サンパギータ」という花の名と、物語の情景をしっかり覚えていたのだった。
その日の出来事がどうしても心に残り、帰国後すぐ、娘と一緒に絵本を開いた。
そして、少女が花を売っている場所がまさに、私たちがサンパギータ売りのおばあさんをみた「教会の前」であることを知った。
二度目は真剣に読んだ。哀しくも美しく、フィリピンの生活の現実と、そこにある温かさが伝わってくる話だった。
「ゆめだったんだね。おかあさんにあえたのは」 娘がぽつりとつぶやく。
絵本のどこにも「夢だった」とは書かれていない。けれど、全体の流れや描かれた情景から、娘なりにそう感じ取ったのだろう。幼い少女を娘と重ね合わせて、胸が締め付けられるような感覚にもなった。
物語の中では、まったく売れなかったサンパギータの首飾りを、黒い服の女性が「全部ちょうだい」と買い取る場面がある。
(あの階段下で座っていたおばあさんにも、きっと何か事情があって、首飾りを売っていたのかなあ)
どうして私はあのとき、反射的に娘の手を引いて背を向けてしまったのだろう。少し立ち止まって近くで見てみることもできただろうし、娘が「買いたい」と言ったら、素直に買ってあげればよかったのではないか。
白い花を見て絵本を思い出し、純粋な心で「サンパギータのくびかざりじゃない?」と声をあげた娘。その気持ちを遮ってしまった。
小さな事かもしれないけれど、すごく後悔した。
「今度バギオに行ったときは、あそこでサンパギータの首飾りを買おうか」
「うん、でもさ〜、フィリピンのことばわからないよ」
「大丈夫、ママがいるから。(私もわからないけど。笑)」
次に機会があれば、あのおばあさんに声をかけてみたい。
そして、普段から子どもの言葉を軽んじず、きちんと同じ目線で受け止めようと思った。