以前、夫の新しい職場であるバギオ市内の某自動車教習所がヤバイという内容の記事をあげたら、Twitterフィリピン界隈のみなさまから「あるある~」というお声を非常にたくさんいただいた。
夫、自動車教習所に教官として採用される
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入社後、初めての業務に「土地探し」を任命される
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教官として採用されたはいいが、社内の人材が全く足りず 経理/総務人事etc.をぶっつけで兼任
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教習に使う車をマニラまで取りに行く
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秘書が会社のカネを横領して解雇
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採用から半年以上経つも、オープンの見込みなし
…というのが前回までのハイライト。
10月4日に更新したこの記事は「来週中にはオープン予定」という文で締め括られているが、それから一ヶ月が経った今、果たして無事にオープンしているのか…!?
日替わり業務
何度も言うが、夫は自動車教習所の「教官」として採用された。
しかしこの日はナースとレジ係をしているという。もはや意味不明である。
前回の記事にあげた経理や総務人事なら、まあ新しい会社だしよっぽど人がいないんだろう…とまだ理解できなくもない。
はて、ナースとレジ係とは?
夫曰く、複合施設のビル内の一角に夫が勤める自動車教習所のオフィスがあり、その隣にはグループ会社が管理する付属のクリニックがあるらしい。
そこのナースと会計係が休みなので、夫がしょうがなくその人らの仕事をしているというのだ。
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すると、夫から血圧を測定している女性の写真が送られてきた。
患者を写メるなw
注)プライバシー保護のため顔部分はカットしてあります。
ナースと会計係を兼任していくらか経験値を上げた夫は、翌週は大工として働いていた。
私がフィリピンから帰国したとき、夫の運転でマニラ高速を走った恐怖の一夜の記憶が蘇った。
視界の悪い深夜の高速で、前の車をよけたら目の前にカラーコーンがころがってきたり、いきなり穴が出現したり(?!)そんなアンビリバボーなことが普通に起こるフィリピンの道路交通事情の闇が垣間見えた気がした。
夫の珍しい仕事観
先日も、夫は新しいインストラクターを募るための1~2分の短い動画を制作していた。
どうやらそれが評価されて、今度は集客用の動画制作を頼まれたらしい。
フィリピン人はいかに楽をして同じ給料をもらうかがテーマだとか、給料泥棒だとかはネットではよく言われていることだ。実際、割合的な話だとたしかにそういう人が多いのかもしれない。そういえば夫の某友人は、勤務時間内に靴を買いに行っていたっけ。
夫に関しては今回の仕事に限らず今までも、言われたことはとりあえずベストを尽くすタイプっぽい。
タクシーの運転手をやっていた頃は、一人でも多くの客を獲得するために、先輩のおじさまたちがこぞって昼休憩に行く時間を狙って街に繰り出していた。
私と同じで「手の抜きどころを知らない」、不器用で損しがちな人間なのかもしれないと思った。
オープン日の行方
「今週オープンする」と意気揚揚に宣言していた翌日の夫のタスクは、「土地に関する契約書にサインする」だった。
毎日、妻の私に業務内容の報告が逐一写メ付きで送られてくるのは、フィリピン人なら珍しいことではない。夫の場合は「オフィスを背景にしたセルフィ―」じゃないだけフィリピン人らしさに欠けるとも言える。
~二日後~
その日、朝からLTO(陸運局)の最終監査が入ると意気込んでいたので(その監査で問題がなければ営業許可が降りるとのこと)こちらもようやくか~と若干期待の念は抱いていたものの、その監査で複数の問題を指摘されたらしい。
こんな状況で日本人なら顔面蒼白になりそうだけど、It’s too complicated だネ~ と言いながらもハハハハと陽気に笑う夫は、やっぱりフィリピン人だね。
そして先週。
この日も決まり文句のように「今日か明日オープンすると思う」と言って家を出た夫(もはやこれが夫婦間の朝の挨拶に代わりつつある)が
夕方になって、一日中屋外での作業だったから背中が真っ赤に日焼けしちゃったよ~と、写真を送ってきた。
ん?なになに。本当なら今日オープンの予定だった?
話を聞くと、午前中に本日の業務である塗装業に従事していると、マニラにいる上司から入電。「午後2時にオープンすることになった。directorが立ち会いにくるからいそいでオフィスに戻って」との指示があり、オフィスに飛んで戻る夫と同僚。
director というのが日本でいうところの何なのか、結局よく分からなかったのだけど、その後も待てど待てどその director とやらは現れず、挙句の果てに director 多忙のためオープンは明日に見送り、とのこと。
もう何があっても驚かない私。フィリピン人夫と出逢って3年。鉄の心を手に入れつつある。
ところでペンキ塗りの仕事って、一生に一度はやってみたい bucket list の中に入ってるんだよね。前にバギオで住んでたアパートの隣で、煙突のペンキ塗りをしていたおじさんに「やらせて」って声掛けようか本気で迷ってた。
妻の私がついてって、手伝わせてって言ったら普通にやらせてくれそうな感じ。今フィリピンにいないのが惜しい。
秘書とパイナップル・ロロのその後
そういえば、会社のカネを横領して解雇になった秘書問題はどうなったんだろう?
彼女が解雇された後、すぐに20代前半の新しい秘書が採用された。
それとほぼ同時期に、なんとあの解雇された秘書が再雇用されたというからびっくりだ。
フィリピンで生活していれば、普段から人々の助け合い精神に触れる機会は多い。
バギオ滞在中に、夫の運転する車が道中でいきなり動かなくなったとき、こちらから助けを乞う前にどこからともなくわらわらとおじさんやクヤ(お兄さん)たちが寄ってきて、みんなでリペアショップまで車を押していってくれた。
そういう単純な「人助け」とは別に、フィリピンにいると、様々な事情で働くことができずに生活苦を強いられている人を「カワイソウ」とし、積極的に助けようとする場面に多く出くわす。
やむを得ない家庭内の事情や、身体的・精神的に働けないということ以外に、本人の努力不足や性格の問題(と日本人なら思ってしまう)で仕事が長く続かず結果的にお金がない、そういった人に対しても「カワイソウ」と表現したり、自分で自分のことをそう言ったりする。
だからそういう考え方や価値観は私にとって新しいものではなかったのだけど、それでも会社のカネを横領してトンズラした元従業員を経営者自ら再雇用するというのはさすがに理解できなかった。
さらにびっくりなのが、再雇用された数日後に再び金銭トラブルを起こして自主退職したのだ。
どこまでも予想の斜め上をいく。
新しく採用された若い秘書も、安月給を理由に数日後には退職していた。
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いつも、フィリピン時間の夕方4時頃になると、やることがなく退社時刻の5時がくるまでチェスをして暇をつぶす夫からビデオコールがくる。
パイナップル・ロロ(Lolo=タガログ語でおじいさん)と言われて一体なんのことかすぐにはピンとこなかったが、夫に言われてようやく思い出した。
過去記事「100ペソのパイナップルについて思うこと」のおじいさんのことか。
彼は、一度目のLTOが主催する教官試験に落ちて入社することが出来なかったが、その後リトライして無事合格し、今では一緒に働いているらしい。
私も電話で話したけど、聞いていたとおり物腰柔らかで穏やかな人。亡くなった夫のおじいちゃんに似ているね、と言ったら夫もそうだねと言っていた。
100万回の「また来週」の末に
もうこのまま一生オープンせずに全てなかったことになるんじゃないかとすら思っていた夫の自動車教習所が、100万回の「next week」を経て突然開校した。
社員第一号として雇われ、これまで経理、人事総務、ナース、会計係、ビデオクリエイター、大工 など多岐に渡る業務を遂行してきた夫は、ようやく本業であるインストラクターとして働くことができるのだ。
開校したのが金曜日で、週末は休みだと言っていたのに、土曜日も日曜日も夫は朝早くからはりきって仕事に出掛けて行った。
休日出勤て、ちょwおまw日本人かよwwwとツッコミを入れると、片付けたい仕事があるんだと。
初日の営業後は、マニラからオープン立ち会いに来た金持ち社長と祝賀会で深夜0時に帰宅。
翌日の出勤前には、その金持ち社長が従業員全員に高級ホテル「City Light」の朝食ビュッフェをご馳走してくれるとかで朝7時に出て行った。(実際にシティライトが高級ホテルかどうかは知らないけど、私が夫と飲みに行ったときは一杯のお酒とチチャロンだけをオーダーしてあとは安い店に移動したw)
それからというもの、夫は毎日のビデオ通話の時間が満足にとれないくらい忙しくしているけど(私は毎晩8時に娘を寝かしつけるのでそれ以降は電話に出られない)
仕事がなかった時期、毎日やることなく家に引きこもり、髭は伸び放題で筋肉は落ち、げっそりしていた頃の夫を知っているので
慕ってくれる良い仲間に恵まれ、やり甲斐を感じながら生き生きと働く夫の姿を見ることができて本当に嬉しい。
私たちの挨拶代わりにもなっていた「next week」をもう聞けないのかと思うと少し寂しくなるかとも思ったけどそんなことは全くなかった。
(私が密かに楽しみにしていた)バギオ市内の某自動車教習所で繰り広げられるリアル・フィリピン劇場は、これで終わってしまうのか、はたまたここからが本番なのか。
夫からの面白い続報があればまたアップします。