「I have something to tell you.(ちょっと話がある)」
その日、仕事を終えてスマホを見ると、夫からメッセージが届いていた。
夫がこれを言うとき、話というのはきまって「どうでもいいこと」か「めちゃくちゃヤバいやつ」のどちらかだ。
一緒になって間もない頃は、これを言われるたびに今度は何事かと夫の顔を見るまで気が気ではなかったが、こちらが気を揉めば揉むほど大したことではなかった、ということが多いので、最近は気にするのをやめている。
それでも、今回ばかりは「not emergency but important(緊急じゃないけど重要なやつ)」と続くので、なにかいつもと違う気がして、平然を装いながらコンビニでいつもは買わない缶ビールを買って帰った。
それは、フィリピンに住む義母からの初めての送金依頼だった。
25000ペソ―その日のレートで10000ペソ=4087円。送金アプリに金額を打ち込むと、手数料込みで6万1870円と出た。
出稼ぎフィリピン人が毎月の収入から故郷の家族に送金して家計を支えるだとか、フィリピンにいる家族が外国で働く子どもや兄妹をアテにする、というのはよく聞く話だが、今のところ私たちはそういったマネープロブレムとは無縁だった。
何かこう、騙されて高い壺を買わされただとか、家族の病気とか、よからぬことを想像していたので、豚を飼いたいと聞いて拍子抜けしてしまった。
翌週の水曜日、イフガオ・キアンガン(義母の故郷)で、パパラカイのためのBogwa(ボグワ)と呼ばれる大切なイベントがあるということだった。
パパラカイは夫の祖父であり大親友だ。
学生時代に両親が別居し実父と離れて暮らした夫は、人生における大切なことはパパラカイから教わったと言っていた。
パパラカイは私と夫が出会う前の2018年に心筋梗塞で亡くなった。はじめて夫に出逢った日に夫が運転していたタクシーは、かつてパパラカイが所有していたもので、PAPA LAKAY と車体に名前が書いてある。
ところでパパラカイ(PAPA LAKAY)というニックネームは、タガログ語で “old father” の意。直訳すると「古いお父さん」と変な感じになるのだが、みんなのお父さん的存在として、昔から家族が親しみをこめてそう呼ぶのだ。
2019年に夫が日本に遊びにきたとき、彼のスーツケースに入っていたものは、洋服、両親へのお土産、それに額縁におさまったパパラカイの写真だけだった。滞在中、どこへ行くにもまあまあデカい額縁を持ち歩き、真新しい異国での光景を共有した。それほど、パパラカイは夫にとってかけがえのない大切な存在なのだ。
話は戻って、このボグワと呼ばれる死者のための儀式は、イフガオの中でも地域ごとに慣習が異なるのだそうだ。
キアンガンでは、様々な理由でボグワが行われる。家族が何日も続けて故人の夢を見るとき、家族(とくに幼児)が病気にかかったとき、両親への敬意を払うため、未亡人となった故人の配偶者が再婚を望むとき。
まず、1 人または 2 人のムンフクット (ボグワ中に骨の取り扱いを担当する人) が、棺桶から骨を取り出し、骨の周りに残った肉を洗浄し、整理する。
その後、故人の骨は一般公開される。遠方に住む家族や親戚にも姿を見せられるよう、ボグワは3〜4日間かけて行われる。
年配の親戚や故人に近い人が祈りを捧げ、故人が生前に行った善行を語り合う。
ボグワの最終日、カヒウと呼ばれるお祝いの儀式が行われる。これは、一家族に限定されたものではなく、村全体が参加する。
イフガオの儀式に、招待状というものは存在しない。
殺めた動物を調理したとき、空に昇った煙をみて、「何かの儀式が行われている」と認知した人々が、ワットワット(無料飯)を食べにやってくるのだ。私も、夫と一緒に住んでいたときは、夫に誘われて何度かワットワットを食べに行った。
これもイフガオ独特の習慣で、犠牲になった動物の肉はボグワを手伝った人々に分け与えられる。報酬代わりだ。
キアンガンでは、地域の長老が非常に強い権限を持つ。
2019年に私がキアンガンを訪問したときから代替わりしていなければ、夫のロラ(祖母)の近所に住む、あの90代のおばあさんが現役の長老ということになる。
村で結婚式や葬式、ボグワなどの儀式が行われるとき、その詳細(どのくらいの規模で行うのか、捧げる動物の種類(鶏、豚、水牛)、その頭数)は、すべてこの長老によって決められる。
そういうわけで、村人に振る舞うための黒い豚を長男のダニエルに購入してほしいと依頼されたわけだ。一頭25000ペソ(およそ6万円)。
イフガオでは、黒い鶏や黒い豚は特別なものとされ、こういった儀式やおもてなしの時にだけ食べられる。私がはじめてイフガオのおじさんの家に行ったときと、私の両親がイフガオに遊びに来てくれたときは、黒い鶏が食卓にのぼった。
アメリカに住むティタ(おばさん)は、70000ペソ(15万円以上)もするカラバオ(水牛)を一頭購入するらしい。
月曜日までに振り込んで欲しいと言われたのが、土曜の午後2時。
not emergency but important(緊急ではないけど重要案件)と言っていたけど、まあまあな緊急事態やないかい!と、心の中でつっこみはしたが、私の答えは「Ofcourse I would love to! よろこんで!」だった。
我が家は6万円を気前よく出せる層ではないし、日程や金額の内訳などの詳細もろくに知らされずいきなり送金シテーと言われたら、フィリピンにご縁のない方ならびっくりする事案だろう(上に書いたボグワの詳細は、すべてこの記事を書くために聞いたことだ)。
けれど、パパラカイはダニエルの一番の親友で、一度も会ったことがないのにもう何度も一緒にコーヒーを飲んでいるような気がするほど、夫から話を聞いている。
フィリピン義家族との金銭問題については、たびたび日本人の間で警鐘を鳴らされているが、私は義母をとても信頼し尊敬している。私たちにできることならぜひ協力したいと思った。
なによりそういった諸々含めすべて受け入れて夫とは結婚したから、今度は何が起こるのかと楽しみしかない、というのが本音(笑)
ありがたいことに夫は日本的な考え方を尊重してくれるので、「大切なイベントだから僕は貢献したい。でもコノミが払うかどうかは君次第(It’s up to you)払わなくてもいいからね」と何度も言ってくれ、その気遣いが嬉しかった。
送金はギリギリ間に合い、無事に儀式が執り行われたと義母から写真と共に連絡があったときにはホッとした。
日本で暮らし、家族が助けを必要としているときにすぐに駆け付けられないけれど、こういう形で少しでも力になれることが嬉しいのだ。