7月、一家でコロナに感染した。
2020年に世界が「コロナ禍」に突入してから周りがどんどん罹患していく中、我が家はウイルスとはまったく無縁の生活を送っていたが、ついに…
夫が発熱の症状を訴えた3日後には私と娘も仲良く発症。
夫と娘に関しては、最初の二日間38〜39.5度の高熱が出たくらいで、次の日からはケロッと元気になっていた。
私だけ貧乏くじが大当たり。発熱・倦怠感・重めの頭痛は5日間続き、ようやく熱が下がったと思ったら今度は味覚・嗅覚が消失し、咳も出始めた。
ダルさがピークに達したタイミングで、2歳の娘が完全復活。
体温が高くもはや部屋の室温が35度を超えても何も感じない私に、あそぼうよ〜と容赦なく馬乗りになってくる。
「だいじょうぶ。ママ、娘ちゃんがいるからだいじょうぶ、ぜんぜん いたくないよ」
満面の笑みでそう言われたときは、病院の抗原検査で「ママがいるから大丈夫だよ、おわったらジュース飲もうね」などと娘に言った自分を呪った。言われたほうはこんな気持ちなのか。
娘は絵本が大好きで、最近ではいくつかの本を朗読できるようになった(文字が読めないので「暗唱」と言うべきかもしれない)。
それで、やっぱりこの日も唸りながら横になっている私のところに本を持ってやってきた。
「ママ、これよんで」
無理… 他に代打がいなければ絵本読むくらい全然無理じゃないけど… 今は同じ屋根の下にコロナから復活してピンピンしている夫という大人がもう一人いるので無理…
という気持ちを最大限に込めて、
「ごめんね、ママあたまがいたいんだ。パパに読んでもらってくれる?」
すると娘が一言、
「パパは よめないから。」
これには思わず後ろに立って私たちのやり取りを見ていた夫と目を合わせた。夫はどう感じたか、眉毛をピクッと一瞬上下に動かして首をかしげるような仕草をみせた。
よめなくても、娘が言った言葉の意味はもちろん理解している。
がっちりした体格とは裏腹に繊細な心の持ち主なので、今のは傷ついたかなと思いながら、私は黙って起き上がり「パンどろぼう」を娘に読み聞かせた。
娘が読む絵本は大体全部ひらがなで書いてあるから夫も読めないことはないのだが、当然ネイティブのようにスラスラと読めるわけではなく、知らない単語もある。
0,1歳のときに読んでいた「ぶた ブーブー いぬ ワンワン」というレベルの絵本であれば夫でも問題なかったのだが、2歳くらいのレベルになると、一つ一つの言葉の発音やセリフの意味を考えながら娘本人もきちんと聞いていて、読み手の日本語がカタコトなのかそうでないのかが分かるようなのだ。
少し前までは夫も頑張って読み聞かせをしてくれていたが、途中で娘が「ママ、よんで。」と私のところに移動してくるので、夫も読むのをやめてしまった。
その夜、娘が眠りについたあと夫に話しかけた。
「ねえ、やっぱりさ、ダニエルと娘ちゃんの言語、英語に統一したほうがいいんじゃないかなあ」
「そうだね」
「今日、娘ちゃん「パパは よめないから」って言ったでしょう。あれ、大丈夫だった?」
「ああ、あれは全然問題ないよ。日本語の本が読めないってだけで、英語の本は読めるんだって分かってもらえれば」
よかった。私が思うほど夫は気にしていなかった。
そもそも2歳の「パパは よめないから」という発言の意味として、それ以上もそれ以下もない。「パパは日本語の絵本がよめない」という事実だけで、そこに父親に対するリスペクトとか、そういった感情論は入ってこないのだ。
いつも夫に「Over thinkingだ」と言われる。今回も完全に私の気にしすぎたった。
「そっか。でも、やっぱり父親と娘の共通言語は一つもっておいたほうがいいよね。大きくなってから、言葉の壁によって両親と話せる内容が限定されてしまうのは避けたい」
「そうだね。努力してみるよ」
娘は日本で生まれ日本の保育園に通っているので、今のところ日本語オンリーだ。
ハーフ娘の言語問題については生まれる前から夫と話し合ってきた。
コロナ禍で、夫と娘は1歳になるまで会うことができなかった。会えない期間中は毎日ビデオコールをしていたが、せいぜい1日15分程度で、電波が悪く音声が聞き取れない日も少なくなかった。
夫は日本に来てからメキメキと日本語力をあげ、娘にも日本語で話しかけるようになった。
最初の頃は、娘に対して英語で話しかけてほしいとお願いしていたのだが、日本語で話しかけたときと英語で話しかけたときと、明らかに娘の反応が違うのだ。言葉を理解するようになった彼女は、英語で話しかけられることに嫌悪感すら示した。私たち夫婦が英語で会話していると「おしゃべり しないで!」と怒ってきた。
生まれてから1歳になるまでのかわいい時期を離れて暮らし、ようやく一緒になることができた最愛の娘に英語で話しかけても泣いて拒まれる夫をみていたら、英語でのコミュニケーションを無理強いすることができなくなっていった。
そもそも、片親一言語制を導入したい派の私と、「言語はコミュニケーションのツールに過ぎないから、すべての言語が完璧である必要はない。肝心なのは相手と意思疎通がとれることだ」と主張する夫とでは、方針の食い違いがあった。
夫が生まれ育った環境を考えれば、彼がそういうのも納得がいく。
マニラ出身の義父とイフガオ出身の義母の間に生まれた夫は、義父・妹(長女)とはイロカノ語(イロコス方言)、義母とはイロカノ語(ベンゲット方言)、祖母とはイフガオ語、妹(次女、三女)とはタガログ語で話し、学校教育はタガログ語と英語、街に出ればイロカノ語とタガログ語、という言語環境で育ったのだ。
夫の行動範囲はバギオ以北の山間地方だが、行く先々で言語を変えて人と話す。
この言語というのは、日本でいう方言や訛りのようなものではなく、全く別の言語といっていいほど単語から文法まで違ったりする。
「地域の人と仲良くなるにはまず相手の文化やことばをリスペクトすることだよ」
実際に、夫と旅行中はこれのおかげで宿泊費をまけてもらったり、フルーツの屋台で食べ物を山ほど分けてもらったりと、たくさんの恩恵を受けてきた。
▼現地の言葉で値下げ交渉をする夫@イフガオのお土産屋
私自身、ある程度情報収集をする中で「片親一言語制」という教育法があることを知り、将来のことを考えた上で我が家でもという想いはあったが、何が最善か確信が持てないまま夫の価値観を私に合わせてもらうことができずにいた。
それでも、良い機会なので夫婦でこのことについて改めて話し合った結果、私と娘の使用言語は日本語、夫と娘は英語にしようということになった。
あの日の出来事があってから、私は娘に「パパは日本語の絵本はよめないけど、英語の絵本はとっても上手によめるよ」と話した。
ほかにも、世界地図を見せながらパパの国はフィリピンというところで、パパは英語が上手に話せること、英語と日本語は違うことばだということを伝えた。
娘は「フィリピン?」「えいご?」と私の言うことを繰り返して、もちろん完全ではないだろうが、彼女なりに「パパとママの話すことばはちがうらしい」という理解はしたようだった。
あれから2ヶ月。
英語に嫌悪感すら示していた娘が、夫に対しては「Good morning」「Thank you」「I love you」など簡単な英語で返すようになった。英語の絵本や単語カードは私でなく夫に読んでとお願いし、英語の童謡を歌えるようにもなった。
夏に義母と義妹があそびにきたときは、日本語が通じないというのをすぐに理解し、知っている英単語や身振り手振りを使って懸命にコミュニケーションをとろうとする姿には感動した。
娘に話して伝えた日を境に、彼女の英語に対する態度が分かりやすく変わったのは、興味深い発見だった。
ハーフの子どもにとって一大事の言語問題。
私たち夫婦の”完璧でない”教育に批判的な感想をもつ人もたくさんいるだろう。
それは重々承知の上で、家庭の事情は様々。(英語ばかり気にして、夫の母語であるタガログ語は、イロカノ語はどうしたのかと言われそうだが、今回それについて触れていないだけで一応考えてはいる。SNSで見えることって、ほんの一部に過ぎない。)
今後もたくさんの情報に触れ、外からの意見は半々程度に参考にしながら、夫婦で話し合いを重ね少しずつ進んでいくのだと思う。