生誕2年祭を終えた夜、布団の上ですやすやと眠る娘を見ながら、彼女が私のお腹にきてくれたときのことをぼんやりと思い出していた。
今でも記憶に新しいのが、フィリピンで妊娠が発覚してから妊娠7ヶ月で
悪阻やマタニティブルーと闘いながら、
Contents
- 1 フィリピンで妊娠したら:①光の速さで街中に知れ渡る
- 2 フィリピンで妊娠したら:②ドクターが優しい
- 3 フィリピンで妊娠したら:③巨大な薬に苦しめられる
- 4 フィリピンで妊娠したら:④母子手帳が可愛い
- 5 フィリピンで妊娠したら:⑤予告なしに赤ちゃんの性別を知らされる
- 6 フィリピンで妊娠したら:⑥フィリピン料理が食べられなくなる
- 7 フィリピンで妊娠したら:⑦妊娠初期とかカンケーなく義家族はついてくる
- 8 フィリピンで妊娠したら:⑧我が子へ寄せられる期待に押しつぶされ鬱になる
- 9 フィリピンで妊娠したら:⑨妊娠3ヶ月で友人に知らせたら「遅すぎる」と怒られた
- 10 【まとめ】フィリピンで妊娠したら、私の知らないフィリピンがそこにあった
フィリピンで妊娠したら:①光の速さで街中に知れ渡る
まず妊娠発覚から30分もしないうちに夫が「Can I tell my mom?」と言ってきた。
今思えば嬉しさを抑えきれなかったのだとわかるがその時は…
Noとは言わないが目が点になったのを覚えている。
同じ日、
義父に連絡がいったと思えば、一時間もしないうちにまだ
(*Ate…タガログ語:お姉ちゃん)
こうしてわずか数時間後には、
話した覚えもないのに次々に寄せられる祝福のメッセージに、吐き気が50倍増しになる。
翌日には家の目の前にあるサリサリのおばちゃんに「Hoy!妊娠
(*サリサリ…売店)
私を心配した夫が「妻が悪阻で何も食べられなくてどうしよう!何のスープを作ってあげたらいい?」と、会う人会う人に聞いて回っていたらしい。
バギオでは妊娠中にマルンガイ(日本名:モリンガ)
コロナ禍のバギオはロックダウン中で街から出るのに許可証が必要
フィリピンで妊娠したら、
フィリピンで妊娠したら:②ドクターが優しい
私は地元の小さなクリニックに通っていた。ドクターがとにかく優しく、はじめての妊娠で情緒不安定だった私にはとても心強かった。
腹部の痛みで総合病院に行った時は休みにも関わらず私服で駆けつけてくれたり、
何かあればここに電話してね と、携帯の番号を教えてくれたりもした。
たまたまあのドクターが優しかったのかと思っていたが、Twitterフィリピン界隈によると、フィリピンは妊婦に優しい!との声がやはり多いのだ。
知らない人も私が妊婦だと分かると優しくしてくれたし、フィリピン人の友達は泣いて祝福してくれた。アパートの大家さんは、いつも気にかけてくれて温かい出来立てのおかずをいつもおすそ分けしてくれた。
日本に帰国してから通った産院では、分娩代でイキみながら「私はもしかして、出産ではなく強化合宿または修行をしに来ている・・・?」と錯覚するくらい心無い言葉をかけられたり雑な扱いを受けたので、もう二度と出産したくないと思った。
日本の産院に関しては私の運の悪さもあると言えるが、一度の妊娠で二か国の産院を経験するとギャップがすごい。
フィリピンで妊娠したら:③巨大な薬に苦しめられる
フィリピンで生活していて、サイズで驚いたことは今までなかったのだが、薬だけはアメリカンサイズで無理だった。
▼婦人科で処方された薬
最初は飲み方がわからず夫にレクチャーしてもらった。
「水と薬を口に含んだら下を向くんだよ。そうすると、薬が浮いて喉元までくるから。下を向いたまま飲み込めば痛くないよ」
途中から半分に割って飲めばよいということを発見したが、それでも涙目になる。
先生には言わなかったが、じつは嫌すぎて時々スキップしていた(笑)
フィリピンで妊娠したら:④母子手帳が可愛い
日本では、産院で妊娠が確定すると役所に行って母子手帳を受け取るが、フィリピンでは病院の先生から直接渡される。
赤ちゃんがママに Hello, mommy! と挨拶するところから始まって、9か月かけて一緒に成長していく構成。
日本では妊娠期間は「トツキトオカ」というけど、フィリピンでは「9か月」。
だから母子手帳の名前も ”The 9-MONTH DATE BOOK”という。
フィリピンで妊娠したら:⑤予告なしに赤ちゃんの性別を知らされる
妊娠5か月頃、二回目のエコー検査の途中でいきなり性別を発表された。
「健康、異常なし、女の子」的なノリで。
あまりにテンポよく発表するので危うく聞き流すところだった。(笑)
ちなみに唐突な性別発表や移動式エコーなど驚きばかりの妊婦検診ついては、シリーズ「【実録】フィリピン・バギオの妊婦検診事情」(以下リンク)で詳しく書いている。
フィリピンで妊娠したら:⑥フィリピン料理が食べられなくなる
悪阻の症状のひとつに「味覚の変化」(甘いものやしょっぱいものが欲しくなる、味がしないetc.)がある。
私の場合は、フィリピンで妊娠したのにも関わらず身体がフィリピン料理をまったく受け付けなくなってしまった。
以前は日本人に敬遠されがちなバロットや鶏の血のスープであるディヌグアンなど何でも食べていたし、夫と住んでいた頃は食費を節約していたので日本食は食べず(正確には「食べたくても食べられず」)、その辺の食堂で一食150円そこそこのローカルフードばかり食べていた。
妊娠が発覚してすぐに、いつもどおりカレンデリアで調達してきたおかずを食べようとすると吐き気に襲われ、韓国料理やパンケーキ、ピザ、パスタなど とにかく味が濃くて胃に負担がかかりそうな、フィリピン料理以外のものを食べるようになった。
今ではバギオに Saisyo Konbini(最初コンビニ)というネームセンスを疑う日本食材店ができたようだが、当時はその店もなかったので和食を作るために必要な「みりん」が手に入らず、とにかく醤油と塩コショウでしのいでた。
悪阻そのものよりも、フィリピン料理を身体が拒否する事実を受け入れられず、ただただ悲しかった。
帰国して満足のいくまで和食を食べれば治るかと思いきや、この謎の現象は帰国してからもしばらくは続いた。
ようやく「シニガンを食べたい!」と思えるようになったのが、産後半年くらいの頃。
妊娠を機に帰国してから一度もフィリピンに行っていないので、次回行ったときにちゃんとフィリピン料理が食べられるか、じつはとても心配している。
フィリピンで妊娠したら:⑦妊娠初期とかカンケーなく義家族はついてくる
バギオにいた頃は、山への出張が多い義母に頼まれて当時10歳の
まさにプリンセスという言葉がぴったりな可愛いお顔をした末っ子
食事は好きなものを好きなだけ、好きな時間に食べる。
私の作ったものが口に合わなければ容赦なく「好きじゃない」
夕飯は家族揃って・食事中は立たない・嫌いなものも残さず食べる という基本的方針の下育ってきた私からしたら考えられないことだ。
バギオではかなり切り詰めた生活を送っていたけど、彼女は
核家族世帯が大多数を占める日本とは対照的に、
それが、妊娠したら自分がまるで別人のように過敏になり、
とくに妊娠発覚直後の絶賛食べ悪阻×マタニティブルーのコンボの
当時はロックダウン中で、一世帯につき代表者一人(夫)が週2回、生活必需品の買い出しに行けるくらいで、
そんな状況下で、お腹に宿った小さな命を守りながらベッドの上でピョンピョン飛び跳ねるプリンセスたちのお世話をす
それでも家族ファーストのフィリピンで妹たちを預かりたくないだ
でも、それは妊娠初期だろうが関係ないんだな、
色んなことが日本と違いすぎて、毎日驚きの連続。
現地で生活していても、フィリピン人のパートナーがいても、
あれから数年が経って、今では義家族のことも、
一方で、これからパートナーとして一緒に生きていくからには、
ひとつ言い訳をさせてもらうとすれば、
フィリピンで妊娠したら:⑧我が子へ寄せられる期待に押しつぶされ鬱になる
私の妊娠がわかってから、義実家で集まるたびに、これから生まれてくる赤ちゃんの容姿についての話題で盛り上がるようになった。
一族初の「外国人との子」に、みんな興味津々だ。
「アテの子供はきっと目が大きいね。
Twitterで「
フィリピン人パートナーとお子さんがいる方にお聞きしたいのですが、妊娠中に義実家からまだ見ぬ娘or息子の容姿についての願望(二重だったらいいな👁とかフェアスキン希望🧑🏻🦰とか)を言われるのってフィリピンあるあるですか?🇵🇭
— コノミ🇵🇭バギオ時々イフガオ (@knm_pinas) September 9, 2021
フィリピンあるあるなのかと思いきや、家庭によるらしい。
「コノミの子は絶対に可愛いに決まってる!」
当時それを素直に受け入れられなかったのは、自分でも内心は、
自分がその立場になってはじめて、
こういったことは、ハーフの子を持つ親、またハーフの子自身が、
娘が大きくなって、もしこのようなことに思い悩んでしまうことがあっ
フィリピンで妊娠したら:⑨妊娠3ヶ月で友人に知らせたら「 遅すぎる」と怒られた
私はギリギリまでフィリピンと日本のどちらで産むか悩んでいて、結局妊娠7ヶ月で単身
帰国前にフィリピン人と日本人の親しい友達をアパートに呼んでプ
妊娠報告に関するフィリピンと日本の違いについて話していたとき
そう言われれば妊娠3ヶ月の頃、私は特に親しい友人(5人未満)
夫はFacebookでもはやく友人知人に知らせたくて、毎日のように「もういい?もういい?」と聞かれていた(結局8ヶ
フィリピン人の中には妊娠発覚と同時に2本線が表示された検査
こんなにおめでたいことなのになぜ隠す?!
「妊娠3ヶ月の知らせは遅すぎる」
「パートナーの妊娠がわかっていれば、
ということらしい。
【まとめ】フィリピンで妊娠したら、私の知らないフィリピンがそこにあった
フィリピンにきて、フィリピン人と一緒に生活をして、フィリピン・
いち早く家族に知らせてみんなで新しい命に乾杯すること、
現地で妊娠した女性にしか分かり得ないカルチャーショックという
ローカルネットワークの凄さ。最初は抵抗があり涙した日もあったが、良い勉強になったし、もし次回があるとしたら最初からハッピーな気持ちで受け入れられるような気がする。
そういえば、子宮筋腫ができたときもなぜか3日後には周りの人全員に知れわたっていた。
犯人は「コノミが大変だ!」と心配して会う人会う人に相談して回った現夫というのは言うまでもない(笑)