フィリピンに恋して。
~フィリピン・バギオのリアルライフ~
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フィリピンで妊娠したら、翌日にはサリサリのおばちゃんが知っていた。

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生誕2年祭を終えた夜、布団の上ですやすやと眠る娘を見ながら、彼女が私のお腹にきてくれたときのことをぼんやりと思い出していた。

夫プロデュースのフィリピン式誕生日会が想像以上にフィリピンだった話。 娘が2歳の誕生日を迎えた。 一年前、娘1歳の誕生日当日。 夫は入国直後で、都内某ホテルで二週間の隔離の真っ只中だ...

今でも記憶に新しいのが、フィリピンで妊娠が発覚してから妊娠7ヶ月で単身帰国するまでの日々。

悪阻やマタニティブルーと闘いながら、静かにカルチャーショックとも闘っていた。

フィリピンで妊娠したら:①光の速さで街中に知れ渡る

まず妊娠発覚から30分もしないうちに夫が「Can I tell my mom?」と言ってきた。

今思えば嬉しさを抑えきれなかったのだとわかるがその時は…

Noとは言わないが目が点になったのを覚えている。

 

同じ日、私がベッドの上で悪阻という名の継続的な吐き気に襲われている頃、義父へも連絡がいっていた。

義父に連絡がいったと思えば、一時間もしないうちにまだ10歳の義妹や夫の従姉妹たちから「Congratulations, Ate!!!」と派手なGIFとともにFacebookでメッセージが届いた。
(*Ate…タガログ語:お姉ちゃん)

こうしてわずか数時間後には、既にこの地球上で私の妊娠について知る人は10〜20人程度にまで増えた。

話した覚えもないのに次々に寄せられる祝福のメッセージに、吐き気が50倍増しになる。

 

翌日には家の目の前にあるサリサリのおばちゃんに「Hoy!妊娠したんだって?」と声をかけられた。
(*サリサリ…売店)

私を心配した夫が「妻が悪阻で何も食べられなくてどうしよう!何のスープを作ってあげたらいい?」と、会う人会う人に聞いて回っていたらしい。

アンティ
アンティ
マルンガイどっさり渡しておいたからね。ティノーラに入れると美味しいよ

バギオでは妊娠中にマルンガイ(日本名:モリンガ)を食べると良いと信じられており、地元の人が言うことだからと鵜呑みにしてそればかり食べていたのだが、最近調べているうちに「妊娠中はマルンガイ ダメ、絶対。」説のほうが多いことがわかった。(娘2歳、現在元気に成長中)

コロナ禍のバギオはロックダウン中で街から出るのに許可証が必要だった。その許可証をもらうのに長い列に並んでいると、後ろに並んでいた知らないおじさんが「彼女妊婦だよ!」と大声で叫び、そのあとは伝言ゲーム式に私が妊婦であることが一番前の人まで伝わり、無事に(?)優先的に手続きをしてもらえたこともある。

フィリピンで妊娠したら、プライベートもクソもない代わりにみんなが優しかった。

フィリピンで妊娠したら:②ドクターが優しい

私は地元の小さなクリニックに通っていた。ドクターがとにかく優しく、はじめての妊娠で情緒不安定だった私にはとても心強かった。

腹部の痛みで総合病院に行った時は休みにも関わらず私服で駆けつけてくれたり、

何かあればここに電話してね と、携帯の番号を教えてくれたりもした。

たまたまあのドクターが優しかったのかと思っていたが、Twitterフィリピン界隈によると、フィリピンは妊婦に優しい!との声がやはり多いのだ。

知らない人も私が妊婦だと分かると優しくしてくれたし、フィリピン人の友達は泣いて祝福してくれた。アパートの大家さんは、いつも気にかけてくれて温かい出来立てのおかずをいつもおすそ分けしてくれた。

 

日本に帰国してから通った産院では、分娩代でイキみながら「私はもしかして、出産ではなく強化合宿または修行をしに来ている・・・?」と錯覚するくらい心無い言葉をかけられたり雑な扱いを受けたので、もう二度と出産したくないと思った。

日本の産院に関しては私の運の悪さもあると言えるが、一度の妊娠で二か国の産院を経験するとギャップがすごい。

フィリピンで妊娠したら:③巨大な薬に苦しめられる

フィリピンで生活していて、サイズで驚いたことは今までなかったのだが、薬だけはアメリカンサイズで無理だった。

▼婦人科で処方された薬

最初は飲み方がわからず夫にレクチャーしてもらった。

「水と薬を口に含んだら下を向くんだよ。そうすると、薬が浮いて喉元までくるから。下を向いたまま飲み込めば痛くないよ」

途中から半分に割って飲めばよいということを発見したが、それでも涙目になる。

先生には言わなかったが、じつは嫌すぎて時々スキップしていた(笑)

フィリピンで妊娠したら:④母子手帳が可愛い

日本では、産院で妊娠が確定すると役所に行って母子手帳を受け取るが、フィリピンでは病院の先生から直接渡される。

赤ちゃんがママに Hello, mommy! と挨拶するところから始まって、9か月かけて一緒に成長していく構成。

日本では妊娠期間は「トツキトオカ」というけど、フィリピンでは「9か月」。

だから母子手帳の名前も ”The 9-MONTH DATE BOOK”という。

フィリピンで妊娠したら:⑤予告なしに赤ちゃんの性別を知らされる

妊娠5か月頃、二回目のエコー検査の途中でいきなり性別を発表された。

「健康、異常なし、女の子」的なノリで。

あまりにテンポよく発表するので危うく聞き流すところだった。(笑)

ちなみに唐突な性別発表や移動式エコーなど驚きばかりの妊婦検診ついては、シリーズ「【実録】フィリピン・バギオの妊婦検診事情」(以下リンク)で詳しく書いている。

【実録】フィリピン・バギオの妊婦検診事情~検診③、エコー②~ いつもブログを読んだ友人がDMで感想を教えてくれたりするんだけど、前回の記事では「ギナタアン・ビロビロ」という衝撃のフィリピンスイー...

フィリピンで妊娠したら:⑥フィリピン料理が食べられなくなる

悪阻の症状のひとつに「味覚の変化」(甘いものやしょっぱいものが欲しくなる、味がしないetc.)がある。

私の場合は、フィリピンで妊娠したのにも関わらず身体がフィリピン料理をまったく受け付けなくなってしまった。

以前は日本人に敬遠されがちなバロットや鶏の血のスープであるディヌグアンなど何でも食べていたし、夫と住んでいた頃は食費を節約していたので日本食は食べず(正確には「食べたくても食べられず」)、その辺の食堂で一食150円そこそこのローカルフードばかり食べていた。

妊娠が発覚してすぐに、いつもどおりカレンデリアで調達してきたおかずを食べようとすると吐き気に襲われ、韓国料理やパンケーキ、ピザ、パスタなど とにかく味が濃くて胃に負担がかかりそうな、フィリピン料理以外のものを食べるようになった。

今ではバギオに Saisyo Konbini(最初コンビニ)というネームセンスを疑う日本食材店ができたようだが、当時はその店もなかったので和食を作るために必要な「みりん」が手に入らず、とにかく醤油と塩コショウでしのいでた。

悪阻そのものよりも、フィリピン料理を身体が拒否する事実を受け入れられず、ただただ悲しかった。

帰国して満足のいくまで和食を食べれば治るかと思いきや、この謎の現象は帰国してからもしばらくは続いた。

ようやく「シニガンを食べたい!」と思えるようになったのが、産後半年くらいの頃。

妊娠を機に帰国してから一度もフィリピンに行っていないので、次回行ったときにちゃんとフィリピン料理が食べられるか、じつはとても心配している。

フィリピンで妊娠したら:⑦妊娠初期とかカンケーなく義家族はついてくる

バギオにいた頃は、山への出張が多い義母に頼まれて当時10歳の義妹の面倒をみることはよくあった。

まさにプリンセスという言葉がぴったりな可愛いお顔をした末っ子だったから、うんと甘やかされて育ったんだろう。

食事は好きなものを好きなだけ、好きな時間に食べる。

私の作ったものが口に合わなければ容赦なく「好きじゃない」と言って残すし、ご飯だよーと呼んでもいらないと言われ、そうかと思えば寝る前にお腹空いたから「フライドポテト作って」と頼まれることは普通にあった。

夕飯は家族揃って・食事中は立たない・嫌いなものも残さず食べる という基本的方針の下育ってきた私からしたら考えられないことだ。

バギオではかなり切り詰めた生活を送っていたけど、彼女は割高の冷凍ナゲットや牛乳が大好きだったから出費もかさむ。

核家族世帯が大多数を占める日本とは対照的に、フィリピンでは家族助け合いが当たり前で、私もそういうのを文化の違いだな〜くらいにしか思っていなかった。

それが、妊娠したら自分がまるで別人のように過敏になり、今まで普通に受け流してきたことに対してもかなりストレスを感じるようになった。

とくに妊娠発覚直後の絶賛食べ悪阻×マタニティブルーのコンボの時期に、この10歳のプリンセスと、4つ上の義妹の二人が狭いアパートにいきなり泊まりに来た時は、「さすがに事前に相談してくれ」と夫の前で泣いた。

 

当時はロックダウン中で、一世帯につき代表者一人(夫)が週2回、生活必需品の買い出しに行けるくらいで、それ以外の外出は家の外周を散歩するくらいしか許されていない。

そんな状況下で、お腹に宿った小さな命を守りながらベッドの上でピョンピョン飛び跳ねるプリンセスたちのお世話をすることは、それはもう凄い負担だった。

それでも家族ファーストのフィリピンで妹たちを預かりたくないだなんて口が裂けても言えない。夫は長男だから、義妹の面倒をみることに対する責任感も人一倍強いことは知っていた。

でも、それは妊娠初期だろうが関係ないんだな、と当時は受け入れられない自分もいて、また突然フィリピンのカルチャーに対して拒絶反応を示すようになってしまった自分が悲しくて、毎晩シクシク泣いてた。

色んなことが日本と違いすぎて、毎日驚きの連続。

現地で生活していても、フィリピン人のパートナーがいても、フィリピンという国が好きでも、やっぱり実際に現地で結婚や妊娠をしてみないとわからないことはたくさんある、というのはこの時はじめて知ったことだ。

あれから数年が経って、今では義家族のことも、長男である夫の立場も、あの頃よりもっとよく理解してるので捉え方もだいぶ変わった。あの時自分がとった態度や言動を思い出して、申し訳なかったという気持ちになる。

一方で、これからパートナーとして一緒に生きていくからには、どちらが良い悪いではなく、自分の想いは包み隠さず相手に伝える方がいいとも思う。

ひとつ言い訳をさせてもらうとすれば、妊娠初期の頃は本能で自分と赤ちゃんを守る意識がいつも以上に強くなっていたと思う。

フィリピンで妊娠したら:⑧我が子へ寄せられる期待に押しつぶされ鬱になる

私の妊娠がわかってから、義実家で集まるたびに、これから生まれてくる赤ちゃんの容姿についての話題で盛り上がるようになった。

一族初の「外国人との子」に、みんな興味津々だ。

「アテの子供はきっと目が大きいね。だってクヤは大きい目をしてるから」「コノミの子は二重だよ、だって二人とも二重だから」「ダニエルみたいにえくぼがあるといい」「肌は白い方がいい」と、まだ見ぬ我が子の容姿に関する様々な「期待」を押し付けられて、口には出さずとも正直結構いやな思いをした。

Twitterで「妊娠中に生まれてくる子の容姿について家族から発言があったか」聞いてみた結果、まったく言われなかった人が半数、残りの半数がやや言われた・めちゃくちゃ言われた という結果に

フィリピンあるあるなのかと思いきや、家庭によるらしい。私の場合は、義家族からは言われたがそれ以外の人(従兄弟、友人、知人)からは一切言われなかったので、やはり義家族も「親しくない人には言わないほうがいいこと」だという認識はあるのだろう。どうも思っていない・悪意は全くないというのが一番だとは思うが(笑)

 

「コノミの子は絶対に可愛いに決まってる!」というようなことは、日本でも言われた。

当時それを素直に受け入れられなかったのは、自分でも内心は、どこか周りから寄せられる「期待」に応えられなかったら?というプレッシャーがあったのだ(応える必要はまったくないのだけど)。

自分がその立場になってはじめて、もしかしたら自分も過去にこのような発言をして他人を傷つけてしまったかもしれないと、自分を振り返る機会にもなった。

こういったことは、ハーフの子を持つ親、またハーフの子自身が、多かれ少なかれ必ず経験することだと思う。(ちなみに、「ハーフ」という呼称については昔から賛否両論あるが、私個人としてはハーフと呼ぶことが悪いことだとは思わないのでとくに気にせず使っている)

娘が大きくなって、もしこのようなことに思い悩んでしまうことがあったら(もちろんそんなことがないように日頃からこのテーマについては考えていきたい)、どんな外見で生まれてこようとも人の価値は容姿できまらないこと、他人になんと言われようとパパママは娘ちゃんが一番可愛いよ、ということはしっかり伝えていきたいと思う。

フィリピンで妊娠したら:⑨妊娠3ヶ月で友人に知らせたら「遅すぎる」と怒られた

私はギリギリまでフィリピンと日本のどちらで産むか悩んでいて、結局妊娠7ヶ月で単身帰国した。

帰国前にフィリピン人と日本人の親しい友達をアパートに呼んでプチ送別会みたいなことをした。

妊娠報告に関するフィリピンと日本の違いについて話していたとき、夫と仲の良い友人が、3ヶ月を過ぎた頃に私の妊娠を知らされて「遅すぎる!」と憤慨してた。

そう言われれば妊娠3ヶ月の頃、私は特に親しい友人(5人未満)にしか伝えてなかったのに対し、夫は会う人会う人に話していた気がする。

夫はFacebookでもはやく友人知人に知らせたくて、毎日のように「もういい?もういい?」と聞かれていた(結局8ヶ月目くらいに私が日本でリリース(?)したのに合わせてくれた)

フィリピン人の中には妊娠発覚と同時に2本線が表示された検査薬の写真を添えてFacebookに投稿する人もいるくらいだから、日本の「安定期までは」という感覚が分からないのも無理はない。

こんなにおめでたいことなのになぜ隠す?!みんなで祝福しあおうぜ?!って感じなんだろうか。

「妊娠3ヶ月の知らせは遅すぎる」と憤慨していた彼に言わせれば、

「パートナーの妊娠がわかっていれば、ダニエルをバーにも誘わないし、会いたければ家まで会いに行くとかそういう気遣いができる。だからそういう意味でも妊娠報告は早い方がいい」

ということらしい。なるほど親しい間柄こそのそういう考え方もあるのだ、と納得したと同時に、コテコテのイゴロットの彼らしい優しさだなあ、などと感謝した。

【まとめ】フィリピンで妊娠したら、私の知らないフィリピンがそこにあった

フィリピンにきて、フィリピン人と一緒に生活をして、フィリピン・バギオのことを少しは知ったような気になっていたが、フィリピンで妊娠したら、私のまったく知らない新しいフィリピンの一面を見た気がした。

いち早く家族に知らせてみんなで新しい命に乾杯すること、家族以外の人まで労ってくれること、みんながまだ見ぬ我が子に興味津々で、それは時に人を苦しめること、親しい友人には早く知らせたほうがいいこともあるということ。

現地で妊娠した女性にしか分かり得ないカルチャーショックというのは夫と一緒になったからこその貴重な体験で、これはこれで面白かった。

ローカルネットワークの凄さ。最初は抵抗があり涙した日もあったが、良い勉強になったし、もし次回があるとしたら最初からハッピーな気持ちで受け入れられるような気がする。

そういえば、子宮筋腫ができたときもなぜか3日後には周りの人全員に知れわたっていた。

犯人は「コノミが大変だ!」と心配して会う人会う人に相談して回った現夫というのは言うまでもない(笑)