フィリピンに恋して。
~フィリピン・バギオのリアルライフ~
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夫をジャパナイズしたくない。日本人妻の葛藤~私はそんなに偉いのか?~

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4〜6月はしんどかった。

 

結婚から一年半。

一緒に住み始めて半年。

 

新鮮さしかなくてひたすらハッピーだった最初の3ヶ月とは打って変わって、ようやく「国際結婚」をリアルに感じてる。笑

直近の3ヶ月、自分自身や夫との対話を重ねる中で沢山の気付きがあった。

Twitterではあえて発信してこなかったおちゃらけ夫婦の裏側を、初めて公開します。

夫をジャパナイズしたくない。日本人妻の葛藤~私はそんなに偉いのか?~

はじめて日本で働く

昨年12月末。

コロナ前には誰も予想しなかった厳しいプロセスを経て、日本の土を踏んだ夫。

来日は3年ぶり2回目。

当時は観光客として、彼氏として。

今回は住民として、夫として、父として。

 

私がバギオにいた頃、

「ダニエルの家族に会ってみたい!」

とはるばるバギオよりさらに北のイフガオにまでやってきた、ちょっぴり変わった(とても理解のある)両親と、フィリピン人の夫、ハーフの娘と私の5人で、日本での同居生活が始まった。

 

 

2月下旬。

来日から二ヶ月目も終わりを迎えようという頃に、彼の就労先が決まった。

 

フィリピン人夫が日本で就活して仕事を獲得するまで。 「日本語のできない外国人パートナーが日本で仕事を獲得できるか不安」 配偶者ビザがおりて再会の目処がたったはいいけど、幸せに浸る...

 

日本にきて初めての仕事は、スイーツ製造工場でのライン作業。

英語を教える仕事がしたいという希望を持ちつつも、ALTとしての仕事の獲得は予想以上に難航。

三ヶ月以内に就労を開始できなければ強制退園という恐ろしい保育園ルールがあったため、とりあえずご縁のあったところに就職した。

「I can do anything. 言ったでしょ?人生で初めてした仕事は『ゴミ収集』だったんだから」

と、この頃は口癖のように言っていた。

 

仕事に就けた喜びとすべてにおける真新しさで、夫は心から仕事を楽しんでいるようだった。

毎朝4時過ぎには起きてエクササイズをして、まだ寒い中(当時真冬の2月)外でコーヒーを飲み、5時半頃には意気揚々と仕事に出掛けていく。

帰宅後30分間は、その日の出来事を事細かく共有してくれた。

外国人がたくさん働く現場のことは私たち家族にとっても未知で、ユーモアある夫の話し方も相まって可笑しくて、家族全員がリビングに集まってくる。

私も、今日はどんな話が聞けるのかと、夫の帰りをワクワクしながら待つようになった。

 

「フィリピンで教員をやっていた頃はバカにされていたけど、コノミの家族は工場で働いている自分も嫌な顔せず認めてくれて、本当に感謝してる」

と話していたのが印象的。

 

工場で働く外国人の割合の多くは、中国の留学生、東南アジアの主婦が占めているらしい。

フィリピン人も何人かいたけど今はひとりも残ってない。話を聞いていると、かなりメンバーの入れ替わりが激しい。

若くて筋力もある夫は、(きっと素直な性格も気に入られて)わずか三週間足らずで「ダニエル、いいね!明日からこっち!」と、

外国人メインのライン作業からクリーム部門(夫はステーションといっていた)へ移動になり、時給もアップした。

その部門には3人の日本人がいて、外国人は夫ひとり。

指示や会話はすべて日本語で行われるため、夫の日本語力もぐんぐん上達していった。

一日8時間、黙々と同じ作業を繰り返すライン作業と違って、クリーム製造部門はカタカナで書かれた材料名を読んで理解したり、10kg以上ある巨大なボウルを移動させたり、頭も身体も使う。

ちょうどライン作業に飽きてきた頃だったので、夫も新しい業務内容に喜んでいた。

胃腸炎一家全滅事件

4月頭。

夫が体調を崩すキッカケとなった出来事が起きる。それは「胃腸炎一家全滅事件」

娘が保育園でウイルス性胃腸炎をもらってきて、私、両親が立て続けに感染。

あっという間に一家が全滅した。

「保育園の洗礼」とは話には聞いていたけど、その威力に参ってしまう。

私と娘と両親は、嘔吐や下痢、微熱などの症状がありながらも2,3日で回復。

一方で夫は、嘔吐や下痢はなかったものの吐き気の症状がなかなかおさまらず、丸々一週間仕事を休んだ。

 

休み明け、さあ今日から仕事復帰という朝に、夫が

「ねえ妻、会社の人になんて言えばいいかな?お久しぶり!っていう?」

と言ってきたので

「絶対やめて?!?『お休みありがとうございます。すみませんでした』ね」

と即答した。(日本語初心者なのでなるべくシンプルな言葉で伝えている)

 

夫がハハ、オッケー。と笑いながら出かけていった後、モヤる私。

体調不良で一週間の休みをもらったあと第一声に謝罪というのは、「日本人的」なのかな。

何に対しての謝罪なのかにもよるけど、

この場合は、体調を崩してしまったこと ではなく 自分が休んだことで他のメンバーの負担が増えたこと に対しての謝罪なんだろう。

一週間も休んだら、私なら平謝りだ。(コロナ禍の今、明日は我が身だけど)

先に言っておくと、私って超日本人的思考なんだよね。他人にそういう振舞いを求めるわけじゃないけど、自分のこととなると必要以上にペコペコするやつ。両親にそうやって育てられたわけでもないのに。こればかりは国民性云々ではなく性格だと思う。

でも、夫が仕事を休むたびに派遣会社に連絡するのは私だし(夫でもいいけど言葉の問題で誤解があると後々私に回ってくる)、

周りからは「そこまで背負う必要ないんじゃない?」と言われるけど、国際結婚して日本に住むことを決めた時点で配偶者に関する責任は私にあると思っているので、この時点であっぷあっぷしかけてた、っていう言い訳。

気になってTwitterでも意見を募ってみたら、やはり体調不良という理由での休み明けに謝るのは日本的っぽい。

こうやって、日本人的思考が刷り込まれていくのかあ。

なんだかなあ。

体調不良で休みがちに

4月頭。

胃腸炎からの復帰後、一週間経たずに夫がある症状を訴えてきた。

血尿。

血尿と言っても、尿が赤いわけではなく、尿に一滴の血液が混じる程度。

夫は初めての胃腸炎を経験したあとだったこともあり、命に関わる病気かもしれないと夜も眠れないほど怖くなってしまった。

両親からは、それはよくあることだからねーと言われ、私はというと、少し様子見でもいいのかなと思っていた。

正直な話、その頃夫だけでなく私も新しい仕事が始まったばかりだったので、最初の一ヶ月は仕事を休みたくなくて夫の病院付き添いを渋っていたのもある。

一歳児がいるので子どもの発熱以外は極力休みたくなかったけど、この国では夫が外国人の場合はこっちの病院付き添いも必須なんだと、当たり前のことにこの時ようやく気付いた。

 

夫が病院に行きたいと言っていることを職場の人に伝えたら

「それは旦那さん可哀想!一緒に行ってあげなよ!はじめての海外で言葉もわからないのに不安でしょうよ!」

と言ってもらえて、本当に有り難かった。

 

最初にかかった近所の泌尿器科では、尿検査で異常なしとの診断。

二週間後の再診では「何が心配なの?w」とあからさまにめんどくさそうな態度をとられてろくに話も聞いてもらえず、結局何もわからなかった。

私は、泌尿器科の専門医が尿検査をして異常なしと言っているなら異常なしなんじゃない?と思ったけど、

今考えればさっさと解決して夫に仕事に戻ってほしかったのかもしれなくて、

私にもう少し心の余裕があれば、もっと寄り添ってあげられたと思う。

 

原因がはっきりしないことが夫の不安を増長させた。

深夜まで寝付けずネットで色々調べて、爪の色がおかしい気がするとか首に何かできたかもとか言い出す始末。

日本だとストレス性〇〇ってよく聞くけど、夫曰くフィリピンじゃそんなの聞いたことないらしい。

そもそも人々が余計なストレスを溜めずハッピーに生きているフィリピンという国ではストレス性の病気自体が存在しないのかもしれない。

この間一回早退して病院行ったからもう少し様子見て。と冷たく言い放ってしまった。

 

次の日、夫がひとりで英語の通じる大きな病院に行くと言ってきた。

私に迷惑をかけたくないと、自分ひとりで行けそうなところを調べたらしい。

そう言われたら、急に夫に対して申し訳なくなって

休みや早退をさせてくれる職場に甘えさせてもらって、この前とは違う病院に行った。

 

英語のできる先生がいる、町の小さな泌尿器科。

受付の対応も親切で、安心する。

一度目の診察で尿検査とエコー検査をしてもらうと「腎臓に小さな石がたくさんあるね、この間の病院はこれで異常なしと言ったの?」と苦笑いのドクター。

「ただ、症状からして今回の直接的な血尿の原因は結石ではないでしょう。感染症の疑いもあるけど(直近で私以外の人との性交渉の有無も聞かれた)細菌が見つからないからね」

結果、ここでも原因は不明だった。

説明の中でお医者さんがこぼした「結石の原因は色々あるからね〜例えば too much work とか」というフレーズが、夫の頭には強く印象に残ったらしい。

実際は他にも色々言ってたんだけど、人間の脳って都合よくできていて、夫の中では 血尿の原因=過労 ということになった。

それからほぼ一ヶ月間、夫は休みと早退を繰り返し、ほとんどまとまって仕事に行かなかった。

原因は過労とストレスだと信じて疑わないので、もうそれは事実のごとく彼の脳にすりこまれて、工場の仕事=過酷で無理な労働を強いられている と思い込み(おそらく一般的な工場労働だと思うのだけど)

来年度ALTの採用まで今の工場で頑張ろうね、と話していた矢先、他の会社にアプライすると言い出した。

仕事に行けなくなった

仕事に行かない夫。

休み方も突然で、朝起きてこないなーと思って声をかけると、弱々しく「今日は仕事を休む」と言う。理由はいろいろで、頭が痛いとか、腰が痛いとか、気持ち悪いとか。

同居する両親に報告するたびに、「え、また?」と当然の反応が返ってくる。

信頼がどんどん失われていく。きつい。

ついに父親からも「プライドが高いだけでしょう。今工場をやめても、『何をやっても続かない人』の一例が増えるだけだよ」と、苦言。

本人にどこまでどうやって伝えるか、毎日悩んだ。

 

正社員時代、酷い時は月に100時間近く残業していた。

そういう働き方はマジで良くないと心から思ってるけど、今の夫を見ていると、娘がいるんだからもう少し頑張れば、って思う。せめて一日8時間は働くとか。

 

辛くても頑張った経験を積んでほしい。

でも、疲れたとか頭痛いとか、息苦しいとか言われると、何も言えなくなる。夫婦といえど他人だし、無理に仕事に行って体調崩されて義実家を敵に回すのもごめんだ。

工場の仕事を楽しんでいた初期の夫はどこへ行ってしまったのだろう。

 

毎日毎日、朝を迎えるのが億劫になった。

夫が仕事に出かけるとホッとした。

この間、娘が一度も病気をせず元気でいてくれたことが唯一の救いだった。

うまくいかない転職活動、繰り返す体の不調

仕事と育児、家事の合間に勉強をして、さらに夫の病院付き添いや会社への連絡、繰り返す早退に頭を悩ませるのは完全にキャパオーバーで、

夫が他の仕事にアプライするのにも、いちいち会社のことを調べていられなかった。

私がモタモタしていたのもあるけど、あり得ない速さでインタビューを取りつけてくる。もはや事後報告。

最初は、教員の仕事がしたい!と目を輝かせてALTを目指していたけど、

そのうち転職の目的が「今の職場を離れること」にすり替わって、職種を問わずアプライするようになった。

言うまでもなく、そんなモチベーションでする就活がうまくいくはずもなかった。

心境の変化

そのうち、夫が早退しても「またか」としか思わなくなった。

早退しても病院に行くわけでもなく家にいるだけなら、あと2時間働けるよね?って。

職場もよく許してくれる。

いつ切られてもおかしくないと思っていたけど、猫の手も借りたい状態なんだと思う。

 

そんな自分の心境の変化に気づいたとき、なんだかすごく悲しくなった。

本当は、妻として

海外で奮闘する夫に寄り添って

具合が悪い時はただ心配して

病院だって喜んで付いて行きたい。

バギオでいつも夫が私にそうしてくれたように。

 

バギオにいたときは、もっと心に余裕があってヘラヘラしてた。

でも、娘という守るべき存在がいる以上(それだけじゃなく、自分の面子を守りたかったのかもしれない)それができなくて

そんな自分がどんどん嫌いになっていった。

日本にいると「ちゃんと」しなきゃいけないし、夫にも「ちゃんと」してもらわないといけない。

自分が「ちゃんと」するのは簡単だけど、同じことを他人に強制するのはすごく難しくて

「ちゃんと」が私には苦しかった。

私はそんなに偉いのか?

夫にガミガミネチネチ日本を押し付けている私だけど、

世界基準でみたら日本人がクソ真面目なだけだってのも知ってるし、

日本のやり方が全部正しいとなんか思っちゃいない。

付け加えると、日本人の中でも私は人一倍人目を気にして生きているタイプで、こうあるべき、ああすべきの「べきべき人間」。

昔からそんな自分が嫌いだし、生きづらさを感じてる。

私以外の日本人と結婚していたら夫はもう少し気楽だったのかもしれない、とさえ思う。

 

夫の妻としての立場と、

両親の娘としての立場と、

娘の母親としての立場と。

何が正しいのか、

どうすべきなのか、

ぐるぐるぐるぐる考える日々。

 

で、あるときふと思った。

日本とは言葉も文化も何もかも違う国で今まで育ってきた人間が、

日本人と結婚して日本に来たからっていきなり変われるわけがない。

 

そもそも変わる必要があるのか?

何のために変わるのか?

変わってしまったら、それは夫じゃなくなってしまうんじゃないか。

 

人は幸せになるために生きていて、幸せの形はひとそれぞれなのに、

日本で自分に合わない働き方を強制されて、身体壊してまで働いて、果たして自分は夫にそうなってほしいのか。

そんな夫を、隣で見ていたいのか。

 

あるフレーズが頭に浮かんで、意味を調べてみた。

 

「ジャパナイズ」

意味:日本風にする。日本人流にする。

 

私は夫をジャパナイズしているんだなあ。

たしかに、この国でこの国の人とうまくやっていくために、ある程度のそれは必要。

でも、

あまりにも日本に適さない夫の仕事観に日々悩まされながらも、夫が日本人化してしまったら、

それはそれですごく寂しいと思う。

 

休みの日にコーヒー片手に電車に乗って職場まで会いに来てくれたり、

お金ないのに同僚に缶ビール2本奢ったり、

見返り求めず人助けをしたり、

暴風雨の中、嫌な顔ひとつせず私の荷物全部持って娘を保育園預けるのついてきてくれたり

 

そういう純粋な優しさは私にはなくて

夫のそういうところが好きで

これからも変わらずにいてほしい。

 

自分に都合のいいところだけ変わらないでほしいと言って

自分が困ることに対しては変化を求める。

 

なんて傲慢なんだろう。

私はそんなに偉いのかよ?

就労先でのトラブル

5月末。

繰り返す体調不良とうまくいかない転職活動で疲労困憊の私たちに、とどめを刺すような出来事があった。

 

夫が勤務先の工場でトラブったらしい。

 

簡単にまとめると、

・仕事中、トイレに行ったら「なんでいつもトイレばっかり行くんだ?ダメだよ!」と、日本人社員に注意された
・その日トイレに行ったのは午前中に一回、午後に一回の計2回
・夫は血尿を発症してから精神的なトラウマがあり頻尿になっていた(通院のことは会社にも伝えていた)
・「トイレに行ってはいけないのですか」と聞きたかったけれど、日本語でうまく伝わらなかった
・こちらが反論できないのをいいことに、相手は日本語で捲し立ててきた
・悔しい感情が抑えきれず、これ以上ここにいられないと思い、定時の10分前に帰ってきてしまった

 

夫から話を聞いたときは、目眩がしそうだった。

小中高時代は授業の一度もサボったことがない。勝手に職場を出るなんて、もちろん人生で一度もしたことがない。

どう対応していいのかわからなかった。

派遣会社からは、就労先で何かあったら連絡くださいと言われていたので連絡するか迷ったけど、もうこれ以上面倒に巻き込まれたくない… という気持ちが勝って何もしなかった。

幸か不幸か、外国人が多い職場なので昨日までいた人が次の日来ないのは日常茶飯事、これくらいのことでは何も問題に発展しなかった。

 

とりあえず本人に伝えたのは、

・トイレに行くことは当然の権利で、彼の発言はおかしい。午前中に一回、午後に一回というのも行き過ぎと注意されるほどの頻度ではない
・それを踏まえた上で、あなたが上司の許可なく帰宅したことは問題
・後々今回のことが問題になったとしても、こちらの言動に非があると、私も100%あなたの肩を持てなくなってしまう
・契約違反だから解雇の可能性だってある

 

ただ、繰り返すようだけど私も何が正しいのかわからなかった。

いつもなら、こういうことがあると「それが日本式なんだね。わかった」という夫が

このとき初めて「今日の件については僕のしたことを責めないでほしい」と言ってきた。

それはもう疲れきった顔で。

 

家族のために良い仕事に就かなければいけないというプレッシャーの中で、

特異すぎる日本文化に慣れるために自分なりのベストを尽くすものの転職活動は思うようにいかず、身体には異変が現れ、本人も意気消沈していた中での今回の出来事。

「外国人」として日本で働く夫にしかわからない感情があって、妻である私にすら理解してもらえず、きっと本人も限界なんだろうなと思ったら、それ以上言葉が出てこなかった。

 

この日は眠れず、アメリカで「外国人」として長年暮らしている友人にDMを送ったら、たまたま彼女の昼休憩と重なって、小一時間話をすることができた。

 

彼女は、ひゃー、それは大変だったねと私に共鳴してくれながらも、今回の件について、

・アメリカなら十分ありえると思うよw
・友達もやったっていってたw(喧嘩して早退して二日間欠勤したらしい)
・日本人は「クソ」がつくほど真面目だからね!
・基本的に「自分が好きなことがやりたい。嫌なことはやりたくない」って人が多いよw
・「Enjoyできないならやめちまえ!人生一度きりだし生きてる限りどうにでもなる!やりたいことやれ!時間の無駄だ!」って考えの人が多いよw

と、あっけらかんと話していた。さすが人生の大半を海外で過ごしているだけの逞しさがある。

一応言っておくと、彼女自身はそういうことはしないらしい。

こういうとき、ネット上では「世界のジョーシキを日本に持ち出すな」という「ここは日本です」論が真っ先に飛んでくるんだけど(そんなこと、こっちは百も承知だ)

もはやどうでもよくて、私が知らない場所にそういう世界もあるんだっていう事実に心底ホッとして、スヤスヤ眠る娘と夫の隣で泣いた。

「でもやっぱり日本で頑張りたい」

先日、ベッドで横になり娘を寝かしつけていると、隣で眠っていた夫が寝ぼけながらこんなことを言ってきた。

Hey mahal.. I still want to live here. because if I’m in baguio, I’m comfortable but there’s no progress. If I’m here in Japan, I’m not comfortable but there’s always progress…

僕はやっぱりまだ日本で頑張りたい。バギオに居れば心地いいけど、進歩はない。ここに居ると苦労はあるけど、頑張った分前に進めるから… ムニャムニャ… zzz

 

夫の口からこういう言葉が出てくるというのは意外だった。日本での生活に嫌気がさしていると思ったし、家族のいるバギオに戻りたいんだろうなと思ってたから。

いつも自分の意見を言う前に必ず「コノミはどう思う?」って聞いてくれるし、私の意見を言えば自分は遠慮して私に譲ってくれるところがあるから、夫の率直な意見を聞くことは多くないのだけど、この時寝ぼけながらにはっきりとした口調で言ったのは、きっと本心なんだろうと思った。

国際結婚マイルール:私が大切にしていること

これから長い人生を共にしていくであろうパートナーである夫との関わりの中で、私自身が大切にしていること。

他人の意見を聞く

夫婦間の悩みを、二人の中でだけ完結させない。

自分たちのことは自分たちで解決すべきだという考え方もあるけど、二人の経験値からは限られた答えにしか辿り着かないし、第三者に意見を求めるのは有意義だと思う。

夫も、私の言うことは話半分くらいでいいから(いや、やっぱり3分の2は聞いて?笑)色んな立場の人と話しながら、日本での自分に合った生き方を徐々に見つけていけばいいと思う。

歩み寄ることをやめない

ぶつかっても、泣いても、決して歩み寄ることを諦めない。

バスケ漫画の台詞じゃないけど、諦めたらそれまで。

夫の行動が理解できずにワーッ!となっていたとき、昔から私たちのことを気にかけてくれていた信頼している人に「諦めず、話し続けるしかないね」と言われた。

根本的な解決にはなっていないのに、妙に納得したのを覚えてる。

互いを尊重しながら話し合いを重ねると、相手に変化を求めること以外の解決策に目を向けられるようになってくる。

気持ちは状況によって変わるもの

この間と言っていることが違うじゃん!

ってあるあるだけど、

考えは状況とともに変化するもの。

だから、それを責めない。

先に相手を許しておくと、後に自分が同じ状況になったときに自分のことも許せる という利点もあるw(そっちがメイン?笑)

分かり合えなくて当たり前

どんなに話し合いを重ねても、やっぱり夫の考え方にはまったく賛同できない部分がある。

でも、それでいいと思うことにした。

まったく違うタイプの人間が夫婦として一緒に生活をするんだから

全てわかり合う事を前提としている方が不自然なんだ。

助けて!理解できない!限界だー!

ってなる日もある。

でも、それでいい。

それでいいのよ、大抵のことは。

ありがとうとごめんねは伝える

気の許せる相手だからこそ、基本的なことを大事にしたい。

言わなくても伝わる は、嘘だよ。

言わなきゃ伝わらない。

夫と言い合いしてる最中、発言した直後に「あっこれは言うべきではなかったな」と思うことがある。

そういうときは「さっきのこの発言についてはごめん」と素直に謝る。

全面的には謝らないけどこのポイントについてはこういう理由で謝る とわざわざ伝える私という人間のめんどくささがお分かりいただけただろうかw

この記事を執筆した理由

今回、この記事を公開するのにはかなり勇気が必要だった。

その理由のひとつは、今まで、私たち夫婦の仲の良い部分、幸せな部分だけを切り取って発信してきたから。

投稿するたびに、読者の方から「今回も面白かった!」「素敵なお話!」などの感想をもらうことが純粋に嬉しいし、記事を書くモチベーションになってる。

どれも嘘偽りない私たちの日常。

夫婦として生活していれば当然ぶつかることも分かり合えないこともあるけど、そういうのは発信しなくていいと思ってたし、

困難にぶつかったら、それが全部解決してからその困難を過去の記録として発信するスタイルを貫いてきた。

理由は特にないけど、カッコつけたかったんだと思う。

 

今回の記事に関しては、仮に彼の仕事が決まったとしても書くつもりはなかった。

それには明確に理由があって、

日本人がよくいう

・フィリピン人の国民性
・フィリピン人男性の傾向

ダニエルもこれに当てはまる部分があって(そうじゃない部分もある)それを何も知らない人に悪く言われるのが嫌だったから。

とくにSNSだと10発信しても1だけ切り取られてそれがその人の全てだという風に拡散されてしまうので、それは避けたかった。

 

ある時、フィリピンに全く縁のない人生を送っている小学校の時の友人が、私のブログを読んで感動したと、彼女自身もブログを始めるきっかけになったと教えてくれた。

彼女とはもう15年以上は会ってないので、急に連絡をくれてびっくりした。

私が「人と違う人生を歩むこと」の強さに感銘を受けたのだそう。

このブログを読んでくれている人は、フィリピン人男性と結婚した人や、フィリピンに住んでいる人、フィリピンが好きな人ばかりだと思っていたけど、意外とそうでもないのかも。

私たちが多くの苦難に直面しながら人生に彩りを加えていく様子が、どんな形であれどこかの誰かの心に届くのなら、私たち夫婦の完璧じゃない部分もときには晒け出すことが、国際結婚のリアルを発信する当ブログの意義だと思った。

一部存在する「フィリピン人男性否定派」の発言に怯えて私たちの経験をしまっておくのは、勿体ないんじゃないか。

そんな思いから今回の記事を執筆しました。

 

7月も半ばに突入。

夫の体調も私の心も回復。

不思議なことに、夫の元には次々とチャンスが舞い込んできて、諦めずに動き続けることや、ときには根拠のない自信を持つこと(笑)の大切さを彼から学んでいる。

 

まだ来日一年未満のペーペーだから、ペーペーなりにがむしゃらに頑張る。

そして私は異国で頑張る夫を支える日本人妻として、これからも葛藤しながら自分の中での答えをゆっくりゆっくり見つけていくのだと思う。