フィリピンに恋して。
~フィリピン・バギオのリアルライフ~
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【Twitterで振り返る】日本人妻がみたフィリピン人夫の2022年

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偶然にも夫が日本に来て家族が一緒になったのが「大晦日」でよかった。

なんとなくキリがいい、なんとなく記憶に残りやすい、ただそれだけなのだけど。

夫ダニエルにとって人生第二章の始まりともいえるこの大事な一年に妻として立ち会えたことは、とても光栄だった。

幾度も壁にぶつかっては向き合い、話し合い、時には自問自答を繰り返して。

もう嫌だと投げ出したくなるような瞬間がなかったと言えば嘘になるが、それは私たち家族にとって間違いなく「必要な」過程だった…というのは今だから言えることかもしれない。

そんな夫の、いや私たち家族の一年は、もはやTwitterなしには振り返れない。

一年の振り返りといえば、ほとんどの人は自分の一年を振り返るだろう。私は、せっかくなので「一人のフィリピン人が初めて異国で暮らした1年」を、日本人妻の視点から振り返ってみたいと思う。

1月 失った時間を取り戻すように

♯フィリピン人夫の新生活 というタグで夫の珍行動を記録。

スーパーで知らない人の前を「しっつれ~い♪」と言いながら華麗に横切ったり、

保育園の迎えに行けば、先生に向かって元気よく「じゃあね~!」と言って驚かせたり、

道端に落ちている木の実をふいに拾って口に入れ通行人に白い目で見られたり、

1歳の子を育てるのと同じで一瞬たりとも目が離せない。

 

そんな夫が初めて引いたおみくじ「他国を駆け回り稼げば幸せ良し」

夫の来日を待って一週間遅れで開いた娘1歳の誕生日会は、私の希望でフィリピン×日本mixスタイルになった。

選び取りではシェフ、医者、アスリートなどの職業を次々と手に取るも、「お金持ち」の札をを取ろうとすると面白いように手が滑り足が滑る。

フィリピンでは、1歳の誕生日会は全給料をはたいて盛大に行うのが一般的だ。義家族に「なんでこんなに食べ物が少ないのか」とドン引きされたのも良い思い出だ。

小学生以下の子どもを3人育てながら働いている友達に「子どもを3人育てながら働いているなんて考えられない」と言ったら「道に落ちている実を食べながら帰宅する旦那も私からしたら考えられないよ」と冷静に返された。

今でもたまに投稿する夫の日本語ジョークシリーズはこの時から始まっていたらしい。

当時は面白かったのに、最近のキレのなさといったら一体どうしてしまったのだろう。


最近Twitterをフォローしてくれた方もいるので補足すると、夫は、私が妊娠中から娘が1歳になるまでの間、コロナに阻まれ日本に来ることができなかった。

「僕がここにいなかった時間を取り戻したい」そう言われて改めて夫と離れていた頃の写真を見返した。

画面越しに小さい娘を見る優しい目に光はなくいつも悲しい顔をしていたことに、当時は私も必死で気づかなかったのだ。

なんだかんだで個人的に好きなのはこれ。


この時以来、夫がドハマりして私も一緒に頻繁に日高屋に行ってる。

高校生以来で懐かしい。

2月 初めての仕事に就いた

国際結婚というものを”真の意味で”理解するところから始まった2月。


そして夫は異国で28歳の誕生日を迎えた。


この国独特の「他人との距離感」にカルチャーショックを受けながらも、

私が「変わらないでいてほしい」とあの時願った夫の優しさは、今でも変わっていないように思う。

先日街を歩いていたとき、押しボタン式信号の横断歩道の前に来て私がボタンを押そうとすると、「ちょっと待って」と夫に止められた。

「なんで?」と聞いて数秒後、状況を理解。

私たちの数メートル後ろを、娘と同じような年齢の子の手を引いた家族がゆっくり、ゆっくり歩いてきていたのだ。

彼らが横断歩道の前に辿り着くのに合わせてちょうど信号が変わるようにボタンを押す優しさに、妻ながら(?)感激してしまった。

たしかに私たちは全く急いでいない。急いでいないのだが、赤の他人のために自分が横断歩道を渡るタイミングをずらすという発想は私にはなかったからだ。

 

そんな心優しい夫氏の言動はいつだってこちらの想像を超えてくる。

普通に道を歩いていたら急に立ち止まり、そのまま神妙な面持ちでかがんでしまった。何事かと思えば、壊れた下水溝を直すと言い始める。

止めるのも一筋縄ではいかないのだ。

「…直さないよ?」
「大丈夫、直せるよ。つまづく人がいたら危ないからね」
「いや、直せるか直せないかじゃなく、直さないよ」
「どうして?」
「どうして…?そういうのは、ちゃんと資格を持った人が仕事としてやってくれるんだよ(たぶん)」

壊れた下水溝を我々一般人が直さない理由なんて考えたことがなく、自分の言っていることが正しいのかも分からないので最後は小声になってしまった。

似たようなことは何度もあって、そのたびに「なぜ?なぜダメなのか?」と、私自身も考えたり調べたりするキッカケになる。

そしてその「なぜ?」は突然矢のように飛んでくるから気が抜けないのだ。

娘が喋れるようになったらこんな感じなんだろう。

ちなみに夫が直そうとした排水溝は、3か月ほど経つとキレイに修復されていた。

 

なんといっても2月のビッグイベントは、夫が日本で初めての仕事に就いたことだ。

スイーツ工場の製造スタッフ。いわゆる流れ作業だ。

本命とは全く異なる業種だが、持ち前の人間力であっという間に現場に馴染み、自宅に招いてくれるほどの親しい日本人の友人もでき、心から仕事を楽しんでいるようだった。

そしてこの頃から、生きた日本語に触れる時間が増え日本語力もぐんぐん伸びていった。

ほどなくしてストレスから体調を崩すことになるが、私は初めての仕事がここで本当に良かったと思っている。


この頃Twitter界では「サイゼリヤデート」が賛否両論を招いており(毎年勃発する4℃論争と系統は似ている)、私としてはバギオでのカレンデリア(平均予算300円)デートを思い出すなどして、フィリピンに思いを馳せていた。

3月 「一番好きなコンビニは?」の問いに日本在住歴15年みたいな模範解答をしてしまう

祖母との初対面。さすがは口から生まれた同士、わずか3秒で打ち解けていた。


ずっとやってみたかった「さらし染め」に挑戦。
これは絶対夫が好きなやつと思い一緒にできる日を待っていたのに、思いのほか全く興味を示さず、大変な思いをして一人でやることになった。


初めていただいたお給料は、少額でも感慨深いものがあった。


一番好きなコンビニは?と聞いたら日本在住歴15年のような模範解答をしてきておったまげるなど。


しかもこれが私の好みと完全一致していたのである。正真正銘のソウルメイトだ。

4月 人生初の動物園!「おいしそう」な動物たちを前に目のやり場に困る

元彼にもらったケイトスペードのバッグを義母にプレゼントする嫁も大概だなと思うなど。

夫&娘の動物園デビュー。

普段自分たちが市場で購入し、家で殺して食べる鶏が動物園で観賞用にされているのに大ウケし、

ウサギ小屋の前で「おいしそう」と呟いて隣にいた家族に獣を見るような目で見られ(夫はマスクをすると一見外国人とはわからないのだ)、

テレビでしか見たことのないキリンを生で見て「キリンがあんなに大きいって知らなかった」と感激し、

妻としては檻の中の動物たちよりもフィリピン人夫という生命体のほうがはるかに面白く、目が離せなかった。

2023年は大きな動物園に行こう。


日本語がほぼできないのに保育園の懇談会に出席してくれた。

保護者から一言コーナーではほとんどの人が「〇〇の母です。よろしくお願いします」などの定形文で終わらせる中、ストッパーの私が不在ということで一番長い尺をもらい、ペラペラと自分の国籍や仕事、趣味などについてなど話していたらしい。


外国人として日本で生きているとこういうこともある。

5月 趣味がほしい

大雨の中、コンビニで買ったコーヒー片手に私の職場に現れた夫。嬉しかった。

この頃、趣味がほしいと口癖のように言っていた夫。

現在は仕事の日も毎日ジムに通い、読書することを覚え、チェスクラブにも入会した。

6月 サイゼリヤの神食・ミラノ風ドリアで食レポ

何もかもが新鮮で刺激的な時期が終わり、だんだんこの国のイヤな部分も見えてきた頃。

思い返せば夫婦共々疲れ果て、とくにTwitterにあげるようなネタもなく家で見た風景をそのまま呟いたのがこれだ。


フィリピンEXPOにスタッフとして参戦した。

私のせいでフィリピン界隈の方に一方的に知られており「あのダニエル…!?」などとまるでレアポケモンのような扱いをうける(本人は喜んでいたと思う)。


電車の中で、タガログ語が書いた紙袋を持った女性に話しかけ、仲良くなる。

このロラには今でもお世話になっているので、人生どこにどんな出逢いが落ちているかわからないし、それを逃さない夫はすごいと思う。


初めてサイゼリヤのミラノ風ドリアを食べたフィリピン人を動画に収めた。

多才な彼にも向いていないことはあるんだなと新たな発見があった日(食レポ)。

7月 JLPTで力試し

初めてのJLPT受験。N5。

せっかく勉強したのに遅刻して受験できず…という悲しすぎる結末を避けるべく前日に自宅から試験会場まで往復するも、

当日「乗り換え少ないルート見つけた!」と言って違うルートで行っていて、この男と分かり合える日はこないかもしれないと思った(合格した)。


YouTube嫁チャンネル「イゴロットの嫁」を開設。

一瞬だけYouTubeをやってみて、大きな収穫があった。

動画撮影・編集をしていても、文章を書いているときのようなワクワク感だったり自分の内側から湧いて出てくるものが一切なかったのだ。

それで、YouTubeは自分には向いてないと思った。

(※尚、当チャンネルは夫がALTに採用されたのを機に本人の希望で閉鎖済み。)

夫はどこにいてもベストなタイミングでベストな人と出逢う。

これはもう偶然というには無理がある。夫が持って生まれた不思議な能力だと思う。

2022年、一番思い入れのある記事があがった。

育児の合間を縫って書き上げるのに丸々2週間かかった。これ系の記事は、手をかければかけるほどずっしりと重たくなる。

最後の「公開」ボタンを押して世に出した瞬間、スッと肩の荷が下りて気持ちが軽くなる感覚は、思い出せば今でも気持ちいい。

この記事についてツイッターやインスタグラムのDMを通じて多くの人から感想や意見、アドバイスをもらい、自分が文章を書く意味を、このブログの存在意義を考えるキッカケにもなった。


「豊かとはなにか」というテーマについてぼんやりと考えていたある日の朝、引き寄せるようにウチの本棚から手に取った一冊。

8月 夢、掴み取る。

夫が人生で初めて本を買った。バギオでは本というのはとても高価らしく、同じ本が日本の2倍の価格で売られているんだとか。


そして、忘れもしないこの日。


採用通知のメールを開いた瞬間、思わず抱き合って泣いた。

ALT・英会話教室だけで何十社も応募した。

当初から一番行きたかった会社に2度落ちて、3度目の挑戦で道が開けた。

諦めず挑戦し続ければ夢は叶うということを、夫が証明してくれた。

9月 「ずっとやりたかったこと」

高級肉まん


ALTとして初めていただいた給料で、娘におもちゃを購入。

父親として「ずっとやりたかったこと」を、ひとつ叶えた瞬間。

逞しくなった夫の背中をみて、これから妻として何ができるか考えた。

10月 大腸炎で通院

大腸炎と腹膜炎の併発で、通院生活がスタート。


料理苦手な妻が避け続けていたお弁当生活デビューを余儀なくされる。


フォロワーに配慮する夫。


病院で鍛える日本語


病院で大活躍する人

11月 初年度ビザ更新。お疲れさまでした

薬の副作用か?夫のジョークのセンスが急降下する。


夫と一緒にいて学ぶこと


驚異の回復力であっという間に数値を元に戻し、


その足で入管へ。

初年度のビザ更新を無事に終えてホッと一息(妻が)。


大腸炎をきっかけに健康を意識するようになり、エニタイムフィットネスに入会。

いつまで続くやらと冷めた目で見ていたが、早朝深夜いつでも行っている。


結婚2周年で、初めての家族旅行へ。

ホテル支配人(?)の粋な計らいで、諦めていた温泉も体験することができた。

12月 娘2歳。初めて一緒に過ごす誕生日

運命の12月16日。今年は至って普通の一日を過ごした。平凡が一番かもしれない。


当アカウントが公に「夫のことばかりつぶやいてもいいアカウント」に生まれ変わった瞬間。


妻の英語力が謎に拡散されてしまう。

伝えたい人にしっかり伝わっているから実質TOEIC満点ということになる。


夫の新しい趣味。本人はWood Projectと呼んでいる。


娘2歳の誕生日会。今年は夫の要望でフィリピンスタイルで開催した。


そして大晦日。

義母から夫に送られてきたメッセージで、改めて頑張って生きてかなきゃならんと思わされた。

私たち夫婦だけでなく実家の両親、フィリピンの家族も含め全員にとって「新たな生活の幕開け」となった1年。

常にバタバタとしていて、うまくいかないことも多々あったが、家族が一緒に居られることの尊さを強く実感した。

この難しい国に一緒に住んでみて初めて知った、夫の新たな一面。

強さも、弱さも、全部ひっくるめて改めて面白くて興味深い人だと思ったし、これからも人生を懸けて一緒に居たいと思った。

相手の母国に住んでみて初めて理解する相手のこと。

それぞれが相手国で外国人として生活してみることの大切さ。

この国で奮闘するダニエルの一番近くにいる妻として、果たして何ができたのか。

いや、何もできていないかもしれない。

ただ、何があっても最後は味方でいたいとは思う。

私がフィリピンで生活していた頃、ダニエルが私にそうしてくれたように。

2022年は初年度ということもあり、まずはこの国の文化やしきたりを知識として知っておいてほしいという思いが強く、夫に厳しくしすぎたか… というのが私の反省点だ(でも必要なことだったとも思う)。

2023年、妻としての目標は「夫の可能性をつぶさないこと」。

夫は常にエネルギーに満ち溢れている。

何か新しいことを始めたい!そう思ったときに、まず私に相談してくれる。

忙しくてすぐに時間が取れなくても、無理だろうと思っても、反射的にネガティブな言葉をかけるのをやめようと思う。

やめようと…思う。あくまでも目標ということにする。

 

早速、夫がホワイトボードに新年の目標を掲げ部屋に飾っている。

「それはちょっとムr…」と言いそうになるのをこらえて。

できない理由を並べるより、できる方法を考えてみよう。

と、なんとも私らしくないフレーズで新年の始まりだ。