フィリピンに恋して。
~フィリピン・バギオのリアルライフ~
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フィリピン人夫の外免切替 ~二度あることは三度あるvs三度目の正直~

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2023年5月。

夫が歩けるようになり、季節はまもなく初夏という頃になっていた。

朝4時半に家を出た。始発もまだないので、人気のない街を一駅分歩き、コンビニで朝食のパンを買う。

コノミ
コノミ
緊張してまったく眠れなかった
ダニエル
ダニエル
僕もムラムラしてまったく眠れなかった
コノミ
コノミ
ドキドキね
フィリピン人夫の外免切替 ~負けられない戦い~ 外国の運転免許を日本の運転免許に切り替える「外免切替」の手続きが難航している。 ― 本文に入るまえに、これまでの経緯を説明し...

外免切替ベテラン勢

フィリピン人夫の外免切替。

外国運転免許を日本運転免許に切り替えるこの手続きでは、事前審査(書類)→ 学科試験→ 技能試験 を経て、めでたく日本の免許取得となる。

夫が最初に免許センターに行ってからすでに1年4ヶ月が経とうとしているのに、まだ第一段階の【事前審査】で足踏みしている。

今回が3度目の挑戦。

思わず「二度あることは三度ある」ということわざが頭をよぎるが、すぐに「三度目の正直」と、都合の良いフレーズを被せて思い直した。

夫の今の仕事も、同じ会社の採用試験を2度落ちて、それでもめげずに3度目の応募をした結果だ。

そんな過去の経験を御守り代わりに、なんとしても今日で終わりにしようという確固たる決意をもって電車に乗り込んだ。

 

午前7時前、最寄駅に到着した。

免許センターまでは徒歩20分の距離。

バスが出るのはちょうど20分後だ。

手続きの枠は先着順ですぐに埋まるので、一秒でも早く免許センターに到着したい思いで歩くことにしたはいいものの、途中で寄った公園のトイレから夫が一向に出てこない。

一刻を争う事態でまさかの5分ロス。

コノミ
コノミ
この状況で呑気に大をするなんて考えられない。もしこれで枠取れなかったら一生下痢がとまらない呪いにかけてやるからな

このセリフを伝えるために「呪う=curse」をスマホで調べて習得した。英語の上達には夫婦喧嘩が効果的だ。

3月に切ったアキレス腱が完治していない夫を置き去りにして、残りの道のりを全力で走った。

免許センター目前というところで、朝7時に夫に呪いをかけながら鬼の形相でダッシュしている自分が可笑しくなり、笑いが止まらなくなってしまった。

2年前、夫が日本に来てはじめて仕事の面接に応募したとき。
心配のあまりついて行ったはいいが私自身も市バスの乗り継ぎに慣れておらず降りる停留所を間違え、二人して猛ダッシュで面接会場に向かい、汗と笑いが止まらなくなったのを思い出した。

夫と日本に住んでいると、何かと全力疾走なのだ。

 

7時18分、免許センターに到着した。

前に並んでいる人数をざっとかぞえる。前回は60番くらいだったが、今回は30番以内には入っている。

免許更新にきた人、外免切替にきた人がすべて一列に並んでいるから、実際に外免切替の人がどれくらいいるかは中に入ってみないとわからないのだ。

 

7時45分。建物のドアが開き中に入れられた。

入り口をはいったら左手に回り列をつくり、2階へ移動する。

前回は年末でごった返していたからか職員がひどく苛立っていたが、この日はそうでもなく、朝イチから怒鳴られることは免れた。

「9時25分から説明を始めます。それまで出歩いてもいいですが、必ず時間までに戻ってきてください」

“いつもの人”から、恒例の一時間半待ちを宣告される。

さすがに3回目ともなると、次に何が始まるか、どれくらいの時間を要するかが分かっているので驚くこともない。暇つぶし用に持ってきた本をリュックから取り出した。

大半は、ここにくるのがはじめてもしくはせいぜい2回目の人たちだろう。私たちは3回目ですから、と、少しだけ偉そうにふんぞり返ってパイプ椅子に座ってみる。

するとしばらく席を立っていた夫が戻ってきて言った。

「技能試験に5回落ちて今日が6度目のケニア人と話してきたよ!

幸運のカード

9時25分、いつもどおり一分のずれもなく受付が開始した。

職員「今から受付をします。前から順番に聞いていきますから、私に電話番号を教えてください。電話番号を教える時は一切喋らずに、スマホの画面を見せてください」

前回までは一人ずつ窓口へ歩いていき口頭で電話番号を伝えていたが、全員日本語がカタコトなのでよほど時間がかかったのだろう、座ったまま黙ってスマホの画面を提示する方法に変わっていた。こちらのやり方も来るたびにアップデートされている。

夫が「12」の番号札を受け取ったところで、職員がいったん顔をあげ、私の顔を見て一言

「あなたは?」

「通訳です。」

そう答えると、当然のように無視された。おそらく、日本語が流暢なフィリピン人だと思われたのだろう。前回は私が日本人だとわかると”ですます調”に切り替えていた。

それから、彼は大きな声で私たちの以降に並んでいる人たちに向かってアナウンスした。

「午前中の審査は12番までです。13番以降の人は午後14時から審査を開始します。あくまでも予定ですから、午前中の人が時間かがかかった場合は、午後に回ることもあります。今日どこまで審査が進むかはわかりません。20番以降の人は、一応番号札配りますけど、もう諦めて帰った方がいいと思います。待っててもいいですが審査ができるかどうかはわかりません」

 

午前中の審査は「12番」まで。夫が受け取った番号だ。

もう運が味方についているとしか思えない。

何人か、残念そうに帰って行った。

すぐに「外免切替相談室」というところで書類審査が始まった。

申請者一人に対し職員一人がつく。一度に4組まで部屋に入れるので割とサクサク進んだ。

 

待つこと一時間。

今度こそ大丈夫という自信と、何を聞かれるのかという緊張とが入り混じり、10分に一度猛烈な尿意に襲われトイレに行った。

どこから湧き出てくるのか、明らかに摂取していない量の水分を体内から排出している。

大学受験以来の頻尿ぶりだ。

胃はキリキリと痛み、吐き気すらしてきた。

そんな極限状態の私の隣で、夫は同じ列に並んでいたフィリピン人と話し込んでいた。ここにくるたびにフィリピン人を見つけては話しかけている。ダバオ出身の彼は、来日8年目ではじめて外免切替にきたそうだ。

互いに幸運を祈り合った。

長期戦

「12番の方〜」

8回目のトイレから帰ってきた頃、ついに私たちが呼ばれた。

1度目、2度目のときとは違う、見たことのない職員だ。

私たちの場合かなり事情が複雑で、もちろん職員同士で内容の引き継ぎがされているわけでもないので、なんとなく不安になった。

ひと通り書類に目を通したあと「ちょっとお待ちください」と言って、難しい顔をしながら書類を持って部屋の奥のスペースに消えて行った。

夫が話しかけてきたがなにも耳に入ってこない。隣では、中国人と思われる女性の書類が受理され、学科試験についての案内がされていた。

 

5分以上待ったあと、ようやく職員が書類を抱えて帰ってきた。

職員「はい。じゃあこれで書類は大丈夫ですから。試験の説明をしますね」

二人「「通った……….!!!!!」」

嬉しさを抑えきれない夫が思わず低めにガッツポーズをして私のほうを見てきたのが視界に入ってきたが、私は身を乗り出して職員の次の言葉を待った。

日本人妻の勘というのか、これですんなり日本免許を受け取れるとは思えなかったのだ。

職員「ではまず日程を抑えますからね。いつがいいですか?9月6日以降で」

二人「「く、9月…?」」

職員「はい。それまでは全部埋まってます」

次なる試練

つまり、今後の流れはこうだ。

9月
視力検査後、10問の学科試験が英語で行われる。7問正解で合格

合格すれば、技能試験。

それも合格すれば、その日のうちに免許取得となる。

「技能試験に落ちたらまた試験を受けてもらいますが、まあ一ヶ月くらいは空くと思っていてください。あと、学科試験合格から半年以内に技能試験に受からなければ書類審査からやり直しになります」

何としても一発合格してもらわねばならない。

職員「マニュアルとオートマどちらにしますか?」

ダニエル「マニュアルです!」

即答する夫に、職員がこう続けた。

「奥さんはわかると思うけど、マニュアルだと、オートマよりも工程が増えますよね。だからその分、試験に落ちる可能性も高くなります。日本ってほとんどの車がオートマなので、正直マニュアルにするメリットってほとんどないかな、と。結構中国の方とかも、これを伝えるとオートマにしてたりしますね」

もうこれ以上の失敗は許されないと思っている日本人妻からすればオートマ一択なのだが、通訳して夫に伝えると

「OK。マニュアルです!」

一切迷いのない、少年のような真っ直ぐな瞳でこう言うのだ。

ダニエル「これは新たな挑戦だよ、妻」

コノミ「ここにきてリスクをとる意味がわからないけど… もう好きにしてくれ……」

「あのとき夫婦喧嘩をしてでもオートマにさせておけばよかった」などと後悔する可能性は50%あったが、私たち夫婦のあいだでは妻が舵取りをしてよいことと悪いことがあって、これに関しては後者なのだということは分かっていた。

残り時間

最後に、気になっていたことを聞いてみた。

「あのー、夫が今持っているフィリピン免許が来年の2月で切れるんですが」

説明を終え、一瞬席を立とうとした職員が小さくため息をつきながらまた座り直して、こう説明してくれた。

・フィリピン免許が切れる前に、試験に合格して日本の免許がとれればOK
・フィリピンに帰って免許を更新したら、その時点で翻訳文から何から全て取り直して、書類審査からやり直し

つまり、フィリピン免許が切れてしまうまえに早めに更新することはできない。

選択肢は、2月の有効期限までに試験に合格するのみなのだ。

 

なんというタイミング。

せめて免許の有効期限があと二年先ということなら、気の持ちようもまた違ったのだが。

まだ移住して間もないんだ、せいぜい苦労しなさいという神のお告げなのだと思うことにした。

とりあえず試験が行われる9月までは、やれることは少ない。学科試験の勉強をして、ベストコンディションで当日を迎えることだ――間違ってもアキレス腱を切るなんてことのないように。

 

私たちが部屋から出ると、さっき夫と話していたダバオ出身の彼もちょうど審査を終えて出てきたところだった。彼の表情をみれば、結果は聞くまでもなかった。

「なんでダメだったの?」

「この免許は古いタイプだから受け付けてもらえないらしい。フィリピンに帰って免許を新しいタイプに変えてこいと言われた」

夫曰く、現行のフィリピン免許には、免許番号が数字から始まる旧タイプと、アルファベットから始まる新タイプの二種類あり、外免切替の際には旧タイプの免許証は認められないというのだ。フィリピン国内ではどちらも問題なく認められているというのに。

ダバオくん以外にも、うなだれたり、持ってきた書類を椅子に叩きつけて悔しがったりする人々。そんな彼らを横目に「3度目までは、がんばれ。そのあとは…なるようになるさ」と先輩風を吹かせ、今までにない爽やかな気持ちで免許センターを後にした。

 

帰り道、勝利の笑いが止まらなかった。あんなこともあったよねと、これまでの経緯を夫と振り返っていて、私は感情的になると英語が流暢になるというのを発見した。

書類審査を通しての疲れと、朝からの緊張が解けて、駅付属の広場のベンチでうっかり眠ってしまった。

その後、導かれるように入ったアジア料理店でいただいたビールがとても美味しかった。